危険と隣り合わせの抗議行動 「怖い。でも今、声上げないと」現地教会「いかに祈るか課題」

国軍クーデター発生以降、抗議デモが続いているミャンマー。現地ではインターネットサービスが一時遮断されたり、デモ参加者やCDM(普通の役所勤めの人が仕事をボイコットすることで抗議する運動)のリーダーが拘束されるなど、当局が抗議デモへの対応を一層厳しくしている状況だ。活動家、批評家、ジャーナリストへの大規模弾圧が行われるのでは、との懸念も広がっているという。そんな現地からのレポートを届ける。

三本指を掲げて抗議する市民

とても熱い。私の知っているミャンマーの人たちは、普段とても穏やかで、忍耐強い。何かあっても、こんなもんだと受け止めていく言葉を何度聞いたことか。しかし、今回は違う。本当に文字通り「みんな」が、その思いを一つにし、できる限りの力を振り絞り戦っている様子に、彼らの切なる思いを深く感じている。
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夜8時になると、町中がカンカンと鍋をたたく音であふれる。これまで長い間受けてきた苦しみの思いを抱えつつ、それでも平和的な解決のために思いっきり鍋をたたき、みんなが一つであることを確認している。
6日朝、とうとうデモが始まった。朝から夕方まで、若者たち、学生さんたちが声を上げながらデモをして歩いていく姿が、ベランダから見られる。「デモに行くのは怖くないか」と聞くと、学生たちは口々に「正直とても怖い。 でも、今声を上げ続けないと本当にこのままになってしまう」という危機感を訴える。
1988年も2007年も、デモで亡くなる人たちや行方不明になって帰って来なかった人たちは大勢いたと聞く。だから、デモや政府の仕事をボイコットするCDMに参加することを反対する親たちもいる。一見、華やかに見えるデモの背後には、日本では想像もできないような危険と隣り合わせの状況があることを思わされた。
一方、「自分の人生でもう3回もこういうことを経験してきたから、もう驚かない」と、指導的立場にある年配の知人は言う。裏切られ続けてきた経験、希望のない状況をどれだけ長い間経験してきたのかと思わされる。

デモ中心地の一つ、ヤンゴン大学近くの交差点の歩道橋には人の群れが

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夜中に放火のニュース。 すぐそばの近所でカンカンと鍋の音で目が覚め、拘束しに来た警察を追い出そうと協力する。そんな不安な夜が続いている。それぞれの地域で自警団を作り、夜中の警備をし始めた。タクシー運転手は、「前回は近所同士で協力することができなかった。今回はみんなの気持ちが一致している」と、興奮気味に話してくれた。夜中にネットが止まり、市内の道路を戦車が走る状況を目撃すると、どういう状況に置かれているのか実感させられる。携帯電話の普及でネットを通して情報が共有され、お互いを励まし守ろうとしているが、法律で規制が始まった。
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知人の医師はCDMに参加している。CDMは医師たちによって先導されてきた。長期に治療が必要な患者たちは担当医師と電話で連絡を取り、必要な治療をなんとか継続している。市内にいくつかの診療所が設置され、ボランティアで診療を続けている。今は、患者を置いてきた罪悪感よりも、治安の悪化のほうが心配だという。
「自分の中で言葉にできないほど大きな怒りがある。それは人としての 尊厳が損なわれることであり、一人の命が大切に扱われないこと。そして、正しいことが正しいとされないこと。 逮捕状なしにどんな理由からも逮捕される不安の中にあるということ。幼い娘がおり、自分の娘や家族が将来安心して住める国になってほしい」と強く願っている。

抗議デモに集まる人々の群れ

コロナは1月末には一日新規陽性者は300人程度にまで減少していた。コロナの検査や治療は政府の病院が一手に請け負っていたが、今は閉鎖されている。デモをする中でも、マスクを欠かさず使い、手洗いをしようと呼び掛けを続けている。予防接種はインドからの支援を受け、医療関係者から接種が始まったばかりだった。もともと医療体制が脆弱(ぜいじゃく)なミャンマーのこの状況下でコロナの感染が悪化しないように願っている。
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クリスチャンたちは、コロナで教会が閉鎖されている中にあるが、この希望のないような暗闇の中で、毎日心合わせて祈り続けている。知人の学生は、毎晩9時から家族全員で祈っている。「コロナがあったから 、こうしてともに祈ることを教えられてきた。それは、この時のためだったのかもしれない」と。主を頼り、主が不可能を可能にしてくださると心から信じ、祈り続けることができるように。一方、SNSで「クリスチャンでも度を越えて相手を貶(おとし)める言葉を使うことがある」と小声でUさんは指摘する。主の正義を求めると同時に、どう祈っていくのかも課題と思われる。リスクを負いつつ抗議の声明を出した教団やクリスチャンの団体が、今後、具体的にどのような役割を担っていくことができるのか、主の御心を求め、主がこのことを通して表されますようにと願って祈っている。
【祈りの課題】①神様の御心がなりますように。暴力なしに平和の中に導かれますように。②クリスチャンたちが緊迫した状況の中で、 御言葉をしっかり握り、希望を持ち祈り続けることができますように。