2月28日号紙面:″福祉”から考える「教会と国家」 2・11同盟基督 信教の自由セミナー
″福祉”から考える「教会と国家」 2・11同盟基督 信教の自由セミナー
「教会と国家」のテーマをどのようにキリスト者として考えるか。戦前の反省を踏まえ、毎年2月11日の「建国記念の日」を「信教の自由を守る日」として覚えたり、「靖国国営化」問題を回顧するなどして、各地のキリスト教会で関連集会が開かれている。コロナ禍を踏まえたもの、天皇代替わりの総括など様々な内容があったが、「福祉」に光を当て、教会の役割を考える試みもあった。
日本同盟基督教団 「教会と国家」委員会主催の「2021年2・11信教の自由セミナー」が奈良県生駒市の生駒めぐみ教会で開かれた。オンライン中継され、海外の視聴者も含め、会場と合わせて160人以上の参加者があった。講師は茨木聖書教会(大阪府)牧師で同教団理事の吉持日輪生(ひわお)氏。「福祉を通して見えてくる『教会と国家』」をテーマに、宣教と福祉を両輪に伝道牧会に励む現場から提言した。【藤原とみこ】
◆ ◆
司会進行の本間羊一氏(新発田キリスト教会牧師)が「今日のテーマはこれまで十分に光を当ててこなかった部分」だと、前置きした。吉持牧師は、前任の高麗聖書教会(埼玉県)で1995年から福祉作業所を開始。現在の茨木聖書教会では、2014年から「児童発達支援・放課後等デイサービス」、16年から「生活困窮者自立支援制度の一時生活支援」を始めた。
掲げられた聖書のことばは、マタイ5章37節「だから、あなたがたは、『はい』は『はい』、『いいえ』は『いいえ』とだけ言いなさい。それ以上のことは悪いことです」。
吉持牧師は、「教会が国家に対して『はい』は『はい』として胸を張って言えるのは、社会福祉の分野だと思います」と語り、
「はい」は「はい」と言える信仰的根拠は、エペソ1章23節「教会はキリストのからだであり、いっさいのものをいっさいのものによって満たす方の満ちておられるところです」のみことばにあるとした。
かつて埼玉県の少人数の教会で牧会していた体験にも触れた。「大きな教会なら豊かな働きができると思いがちですが、教会はすべてのもので満ちておられるという信仰を持っていれば、小さくてもキリストの役割を果たす使命を持てるとわかりました。教会は大きくても小さくても、キリストのからだだからこそ『はい』と言って担うべき事柄がある、イエス様が肉体をもって表された働きを継承していく使命があるのです」
「イエス様がこの世をどのような時間配分で歩まれたかをたどれば、キリストの教会の『はい』が見えてきます。30年はナザレの村人として歩み、3年の公生涯を経て、十字架と復活の3日間があります。十字架のメッセージに時間をかけてきた私たちは、イエス様が村人として歩まれた30年間を見失ってはいけない。その部分も教会は『はい』と言って、担って行く必要がある。教会が立てられているそれぞれの地域で何をしていくかが、とても大事なことだと思います」
「もともと教会から始まった福祉的働きを、やがて国が担うようになり、21世紀になって担いきれなくなって、また民間に託そうとしています。これは教会が『はい』と担うチャンスです。教会にできること、それは国ができることを知るときに、より見えてきます」
「国は制度を作り、国民に平等なサービスを提供する。しかし、制度だけでは人は助けられません。一方、イエス様のからだなる教会も、国と同じようなサービスはできません。それでいいのです。神様の平等は“個別に”“特別に”というものであることが、聖書を通して見えてきます。神様は私たち一人一人を特別に扱われているように、私たちも一人一人を特別扱いして関わっていく、これが教会のできる関わりであろうと思います」
「私の27年間の牧会生活で、特別に関われたのはせいぜい2人です。一人の人としっかりと関わっていったことが、教会の福祉作業所の働きに広がり、放課後等デイサービスの働きにも広がりました。マタイ18章12、13節にあるように、イエス様は99匹を置いて1匹の羊を探しに行かれた。迷い出た1匹に関わること、それが神様が教会に託された役割ではないか。国の役割は、神様から託された権威を持って99匹を守ること。国と教会それぞれの『はい』と『いいえ』がうまくかみ合っていくことが大事なのだと思います」
その後、オンラインを含めた参加者との活発な質疑応答が行われ、行政との連携で始めた生活困窮者支援の状況や、前任地での福祉作業所の設立経緯に触れた。「国ができない隙間を教会が埋める」働きが教会にはできること、「神に慰められ励まされる経験は、教会にしか届けられないサービスだ」と話した。講演の視聴はhttps://youtu.be/gxM4PKgBEGQ