NCC靖国神社問題委員会「天皇代替わり総括文書」「署名数6千 批判精神培えず」発表 「天皇代替わり」問題を次世代につなげる

2016年の「生前退位」発言によって始まった「明仁」から「徳仁」への天皇代替わり。日本キリスト教協議会(NCC)靖国神社問題委員会(星出卓也委員長)は、「政教分離原則違反の神道儀式を伴う形で行われた一連の経過について問題を整理し、暗黙のうちに憲法規範を逸脱し拡大し続ける『象徴天皇制』を正していく取り組みを今後に引き継いでいく」ために、このほど総括文書「2019─2020年天皇代替わりを総括する」をまとめた。その発表にあたり2月19日、オンライン記者会見を開催。星出氏、金性済氏(日本キリスト教協議会総幹事)が発言した。

総括文書は、Ⅰ.1989─1990年の代替わりから2019─2020年の代替わりに至る30年を振り返って、Ⅱ.今回の「天皇代替わり」に際して、Ⅲ.天皇制に対するNCC靖国神社問題委員会の姿勢、Ⅳ.NCC靖国神社問題委員会の取り組み、Ⅴ.総括と今後に向けて、の5章からなる。
Ⅰでは、▽国民統合の象徴としての天皇の強化、▽侵略加害の歴史を解決済みのようにした天皇の公的行為、▽キリストを頭とする教会のアイデンティティーの弱体化、などの問題点を挙げ、Ⅱでは▽日本国憲法の「国民主権」を空洞化させる「天皇TVメッセージの問題、▽代替わり儀式における天皇神格化の問題、を挙げた。
それに対し、Ⅲでは▽信仰の視点から、▽日本国憲法の視点から、▽東アジア諸国の視点から、取り組んできたことを伝え、Ⅳではその具体的な取り組みとして、▽継続した学習、▽公開祈祷会、▽「即位儀式・大嘗祭を国事行為・公的行為として行わないでください」署名運動、を挙げた。
その上でⅤでは、「生前退位」という新たな問題に対し十分な指摘ができなかったこと、代替わり問題だけでなく天皇制そのものの問題性を継続して深めていく必要があること、歴史を振り返り天皇制が持つ福音宣教に対立する性質を明確にしていく必要性があることを総括し、「次世代への提言」と共に、「次なる天皇『代替わり』に向けて更なる取り組みの連帯を深めていきたい」と結んでいる。

星出卓也氏

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記者会見で星出氏は「天皇に対する好感度が飛躍的に上がり、多くの国民の支持を得た中での今回の代替わりだった」とし、「如実に表れたのが署名数だった」と指摘。「1989年の昭和から平成への代替わりの時は19万筆だったが、今回は6千200筆だった。前回は各教派・宗派を超えて広がったのに対し、今回は連帯を作るのが難しかった。また、30年前に比べて、天皇に対する市民の支持、好感度が強く、批判精神を培うことができなかった」と反省する。
「明仁天皇は、日本は平和国家だと語った。平成の30年間、日本の上に爆弾が落とされることはなかった。だが、同盟国アメリカを中心に絶え間なく行われた戦争に、日本は協力し続けてきた。また、太平洋戦争の戦地に赴くことで戦争責任の問題は解決したように見せるが、父親である裕仁天皇の戦争責任は一言も語っていない。これは『謝罪なき反省』というもの。同じくこれは日本の教会、日本社会の問題だと思っている」と語った。
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金氏はこう語った。「『平成』は1995年『村山談話』後においては侵略の歴史が右傾化によって空洞化する30年だった。昭和という時代を相対化し、あの時代は何だったのか明仁天皇も『昭和』を批判的に侵略戦争と植民地支配の歴史責任として問うことはできなかった30年であり、結局敗戦後以来それは一貫した。日本のキリスト教会も、明治期から戦時期の国家神道体制下でのキリスト教とは何だったのか、戦後徹底的に問うことを放棄してしまった。戦後、莫大な宣教資金を持って入ってきた北米のキリスト教会、宣教団体も、そのことは問わず、教会も社会の高度経済成長に合わせて歩んでいった。その結果、天皇制の政治文化に深く根ざす社会の体質や侵略戦争と植民地支配の歴史認識を問うことはタブー視し不問に伏すことによって、教会が地域の人々に受け入れられる地域宣教の道を進んでいったのではないかと思う」

金性済氏

明仁天皇の生前退位メッセージを、大多数の国民が好意的に受け止めており、その中には佐藤優、内田樹といったリベラルな知識人がいる点を指摘。「佐藤氏、内田氏にしても共通していることは、終身雇用制の崩壊、非正規労働化、社会的セーフティーネットの劣化によって弱者を守れない、新自由主義経済の弱肉強食が露骨になる時代において、自分たちをそれでも『日本』というアイデンティティーによって一つにしてくれるのは天皇であると再照明するかのように語っている。『お言葉』を契機として『特措法』が制定されるという超憲法的とも言える天皇の生前退位メッセージに対して、キリスト教の論壇でも注目を集めている2人がそのような意味で肯定的に評価することに、『平成』にあらわとなった現象の一つとして驚愕する」
「ドイツは神学も含め、戦争とホロコーストの歴史的罪責の問題を戦後徹底的に追及していった。その根底にはドイツ自身の歴史的罪責理解に基づく赦し、贖い、罪責告白、そして和解の神学的内省と考察があった。だが、そのような神学テーマ研究について日本では侵略と植民地支配の歴史への内省と考察と結びつきにくかった。その背景に天皇の戦争・植民地支配の歴史責任についての問いを避けてしまうタブーが無意識的にも働いていた。明治期から敗戦までの77年の、国家神道体制下のキリスト教とはなんであったのか徹底して神学的に問い直す、地に足の着いた教会神学、信仰になっていかなかったことを反省しつつ、総括文書として、残された私たちと次世代へとこの問題をつないでいかないといけないと思う」と結んだ。
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総括文書はNCCのウェブサイトURL https://ncc-j.org/からダウンロードできる。