天国を体験したホスピスナース そらいろ訪問看護ステーション管理者 川上静子さん

2月に大阪府堺市で「そらいろ訪問看護ステーション」を開始した看護師の川上静子さん(JEC・堺福音教会員)は、日本のホスピス医療の草分けである淀川キリスト教病院のホスピスの立ち上げに携わった一人。まだがんの告知が一般的ではなかった新人ナース時代、ホスピスの必要性を痛感した出会いがある。それは自身がその後ホスピスと関わるきっかけともなった。
ある時、37歳の女性の肺がん患者を担当することになった。女性には3人の子どもがおり、来春子どもたちの一人が小学校に入学するまでに元気になりたいとつらい治療に耐えていた。ある夜勤で女性が話しかけてきた。「もし元気になれない重大な病気ならはっきり話してほしい。死ぬ準備を整えないといけないんです」
一瞬、頭の中は真っ白になった。当時は病名の秘匿は鉄則だった。真剣に生きようとしている人にうそをつかなくてはならない。罪悪感に苦しんだ。「彼女にとってまだ歩けるこの一日ずつがどんなに大切な日々か。近いうちに病気は進んで衰弱してしまう。小学校への入学準備、子どもたちに手紙やビデオを残してあげることもできず、後悔だけで最期を迎えることになってしまっていいのか」

「そらいろ訪問看護ステーション」のナースらと。中央が川上さん

悩み抜いた。看護学雑誌には欧米のホスピスのことが紹介されていた。「希望者は自分の病名を知り、どんな治療をしていくのか主治医と相談し、積極的治療を行うのか、痛みだけに特化した徹底的な症状コントロールを行うのか決めていくという話が取り上げられていました」
それこそ望ましい末期医療に思えた。だが、日本ではまだ未開拓の分野だった。「3人の子どもたちは、ママの帰りをどんな思いで待っているのだろう」
目覚めた女性に言った。「さっきの話ですけれど、重大な病気です」
「…わかりました」
女性が翌日自主退院したことで、真相が判明。スタッフから責められ、どうすればよかったのか、答えを求めて看護学の教科書を開いた。すると、教科書のどれも監修者は聖路加国際病院の日野原重明とある。日野原医師は日本の終末期医療のパイオニアだ。「この先生に聞けば何かわかるはず」と、夜勤明けにもかかわらず、250 ccのバイクに飛び乗って大阪から東京の聖路加病院に向かった。
へとへとになってたどり着くと、日野原医師は出張で不在。病院のチャペルで床に寝転がって泣きながら眠ってしまい、行き倒れと間違えられて恥ずかしい思いをした。
話を聞いてくれた同病院のチャプレンこそ、愛読書『ホスピス』の翻訳者、斎藤武さんだった。この出会いからホスピスを学ぶ道が開かれる。その後、聖路加での勉強会に参加し、ホスピス発祥の地イギリスや社会福祉の先進国北欧でも研修することができた。あの時の肺がんの女性は、後日病棟に挨拶に来て、「おかげでランドセルを買い、子どもたちのために服を整え、誕生日に渡す手紙を書く時間が持てた」と喜んでいた。
ホスピスを学ぶ中で出会ったのが、淀川キリスト教病院の柏木哲夫医師だ。柏木医師と共に同病院のホスピスの開設に加わり、多くの患者を看取った。死の恐怖の中で信仰を獲得し、喜んで天国に旅立った患者の姿から信仰の深みに触れた。
後に重症筋無力症全身型という難病になり、心肺停止で天国を体験することに。それは「私の信じている神様は本当に死ぬ時に私をしっかりと迎えに来てくださり、天国まで引き上げていってくださる方。死は絶望ではなく、天国に戻れる喜ばしい入口なのだ」という実感を伴った事実の実体験だった。「天国を知りつつ生きていける人生こそ、キリスト教の醍醐味だと分かりました」
その後奇跡的に回復。その証しがYouTubeで配信され反響を呼んでいる。一昨年宣教旅行で訪れたタンザニアでは、証しが冊子になって読まれている。「死は怖くありません。在宅看護は最期の時を自宅で過ごすことを選んだ人に寄り添うのが使命。怖がらなくても大丈夫と伝えていきたいです」【藤原とみこ】