映画「のさりの島」ーー潜伏キリシタンの島に息づく“のさり”の温もり
熊本の方言“のさり”には、幸いなことも不幸であっても、いま在るすべてのことは天からの授かりものとして引き受けるという意味もある。タイトルの「のさりの島」とは、潜伏キリシタンの島・天草を指す。幕府のキリスタン弾圧にもめげずに情況を受け止めつつ信仰を護り続けた“のさり”の精神風土が香り立つ作品。
島にたどり着いたオレオレ詐欺の
若い男を孫と呼ぶ艶子ばあちゃん
オレオレ詐欺をしながら熊本から連絡船で天草の港にたどりついた若い男(藤原季節)。シャッター街に寂れた商店街案内看板を見ながら商店に電話をしまくる。「現在使われていません…」にめげず、ようやく応答したのは年老いて独り浩暮らしで山西楽器店を切り盛りしている山西艶子(原知佐子)。男はすかさず「ばあちゃん。俺だよ、元気?」と呼びかける。「将(太)ちゃん!?…」の一言にこなれた口調でお金を無心する。「友達を受け取りに行かせるから」と、どうにかアタックに成功する。だが、男が楽器店に行くと、艶子は「奨ちゃん、お風呂沸かしといたよ」とマイペースで夕食まで出してくれて、そのまま泊まることに。認知症か?。孫と思い込んでいるならと孫の将太になりすまし、居座って隙を窺うオレオレ詐欺の男。夜になると人通りのない商店街の四つ角で大野久美子(小倉綾乃)が吹くブルースハープのジャジーなメロディが流れてくる…。
地元FM局のパーソナリティを務める清ら(きよら)は、昔の天草の8ミリ映像や写真を集め、商店街の映画館で上映会を企画する。映像を捜し求めて山西楽器店に入ると、艶子は上の物置を整理している“将太”に聞きなと上がるように勧める。清らは、ひょんなことで知り合った“将太”も上映会の企画チームに連れ込まれてしまう。賑わいのあった頃の天草・銀天街の記憶を取り戻そうと夢中になる清ら。事情を聞いた“将太”は、かつての銀天街の痕跡を探す中で、艶子の持っていた古い家族アルバムに、艶子が小さな少年と﨑津教会の前で撮った一枚の写真を見つける。
清らの祖父と父親は、商店街が賑わっていた頃からほとんどの商店の内装を手がけてきた。清らから艶子の孫が帰省していると聞いた父親は、悩んだ末に随分前に艶子の孫が亡くなったことを教える。上映会の日の午後、清らは、意を決して男に問いかける「将太さん、本当はどこのひとなの…」。
いま在るすべてを恵みとして
受け止める天草の精神風土
山本監督は本作について「オレオレ詐欺の男と、電話を受けたおばあさん。二人がついた嘘が、寂れた街のシャッターの向こうで、いつしか本当になる。ふと訪れた天草でこの映画の話をしたところ、そこに居合わせた方がこう答えました。『監督、そん話、天草だとあるかもしれんばい』。この映画は天草で撮らねばならない、そう心に決めた瞬間でした。」とコメントしている。
その言葉どおり、オレオレ詐欺の男は孫と思い込まれているまま居候し、もしかしたら経験したことのないおばあちゃんの温もりを初めて味わったかもしれない。おばあちゃんも亡くなった孫が帰ってきたかのように当たり前の日常を味わい寂しい風が吹き抜けていた心の中のヒビが少し埋めることができたのか。訪れた状況を天からの配剤、恵みとして在るがままに受け入れて生きる日々。潜伏キリシタンの島らしい天草・﨑津集落の“のさり”が、現代の社会情況の切実さのなかに日本人とキリスト教の受容という昔ながらのテーマが流れているような作品でした。【遠山清一】
監督・脚本:山本起也 2020年/日本/129分/映倫:G/ 配給:北白川派 2021年5月29日[土]よりユーロスペースほか全国順次公開。
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*AWARD*
2020年:第24回富川国際ファンタスティック映画祭ワールドファンタスティック・ブルー NETPAC Award Special Mention受賞。