5月23日号紙面:【連載】教会が地域の支援に動き出す 私の3.11~10年目の証し 第三部 いわきでの一週間④
教会が地域の支援に動き出す 私の3.11~10年目の証し 第三部 いわきでの一週間④
「私の3・11」第三部は、私と当時出会った人たちの体験を中心に、10年を振り返る。【高橋良知】
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▼2011年3月12日
いわき市のグローバル・ミッション・チャペル(単立平キリスト福音教会)の牧師、森章さんは、京都の集会で通訳の奉仕をしていた。奉仕先教会の牧師から「テレビを観なくてもいいのか」と尋ねられたが、集会に集中するためあえてニュースは見ないようにした。
だが務めを終え、夜ホテルで津波のニュース映像を見て泣き崩れた。
「ベッドに顔をうずめて大声で泣いた。悲しいというよりも、つらい、切ない思い。自分は、教会は、何をしていたのだろう、という思いが一度に迫ってきた」と話す。
「教会は悔い改めないといけない」という思いを震災前から感じていた。
「通訳や祈りの働きで全国の様々な教会を訪ねてきた。教会は愛すべき、尊い存在だと思う。その教会のためにイエス様はいのちを捨ててくださった。だから教会は、イエス様の思いを熱心に追い求めるべきなのだが、必ずしもそうなっていないのではないかと思えることが多々あった」と言う。
「『教会は霊的に尊く、この世のことにかかわらない』という姿勢がなかったか。日本の中に悪がある。嘘(うそ)や詭弁(きべん)、国民のための政治になっていない状況がある。日本の罪は、日本の教会の罪でもある。教会はそういう中だからこそ、祈り、神の国を求める必要があるのではないかという思いでした」
▼2011年3月13日
「こうして、彼らは、神の箱を運び込み、ダビデがそのために張った天幕の真ん中に安置した。それから、彼らは神の前に、全焼のいけにえと和解のいけにえをささげた。…そしてイスラエルのひとりひとりみなに、男にも女にも、それぞれ、丸型のパン、なつめやしの菓子、干しぶどうの菓子を分け与えた…」Ⅰ歴代誌16章1、3節(新改訳第三版)
(この日の聖書日課の語りかけ、その後の支援の始動に話は及びます。2021年5月23日号掲載記事)