ミャンマー拘束の経験 ジャーナリスト北角氏 CMIM「祈り会」で 国軍の暴力、拷問横行が明らかに

ミャンマー国軍による市民への圧迫が続く。マイノリティ宣教センター(CMIM)共同主事 渡邊さゆり氏は、毎週金曜午後9時にミャンマーのための祈祷会をオンラインで続けてきた。7月2日の第21回目では、4月18日から約1か月間国軍に拘束されたジャーナリストの北角裕樹氏を迎え、その経験とミャンマーのためにできることを話し合い、祈った。【高橋良知】
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祈り会に感謝

北角氏は冒頭で、同祈り会に感謝した。北角さんの拘束以降、同祈り会でもそのことが祈祷課題に上がった。5月14日の祈り会最中に、北角氏の解放の報が入り喜び合ったという。次の通り、北角さんは祈り会でのインタビューに応えた。
―アウンサンスーチー氏率いるNLD(国民民主連盟)が総選挙で勝利したのが2015年。その前年から転換期をとらえようと、ミャンマーに入り、取材を続けてきた。

市民たちの平和的な抵抗を伝えたい

クーデターが起きた2月1日は、前日の仕事の関係で、遅く起きたが、スマホのヘッドラインに入ったスーチー氏拘束の速報に驚いた。知人に連絡をとろうとしたが、すでに電話線、インターネット回線が切られていた。道路に出ると、たくさんの人が集まって情報交換をしており、軍が政治の全権を掌握し、国の高官らも逮捕されたことが分かった。喫茶店のテレビの前に人だかりができていた。軍の放送が流れ、非常事態宣言が発布された。

公園などでは軍のクーデターを支持する僧侶や若者がデモをしていた。デモの周りには、通行人に殴りかかる人もおり、スマホで撮影していた私も暴行され、慌てて逃げた。「自分たちの夢がやぶれた」と知人らは落胆していたが、しばらくは冷静に通常通り商売をしていた様子だった。

5、6日すると市民側から反クーデターのデモが起きた。彼らは平和的で勇気がある行動だった。人の迷惑にならないよう規制線を張り、弁当を調達する人やゴミを回収する人もいた。ミャンマー人は気質のやさしい人が多い。市民たちの平和的な抵抗を伝えたいと思った。

デモの鎮圧以上に恐怖だったのは夜。軍や警察が巡回し、私の家もサーチライトで照らされ、投石があったりもした。市民は軍が来ると電気を消す。しかし通り過ぎると毎晩8時には鍋を叩き、抗議していた。これは私束される4月中旬まで続いた。

膝の震えは止まらなかった

拘束された4月18日の夜、強くノックする音がして不審に思った。ドアを開けると「ポリス」のマークが見え、銃を持ち防弾チョッキを着た人が入ってきた。家宅捜査され、拘束された。ミャンマーでは人知れず逮捕されることがあるので、家を出る時は大きく手を挙げた。日頃から近隣の市民には、不審者がいれば教えてもらうなど協力関係が出来ていた。拘束の様子はカメラにとらえられ、ただちに海外で報道された。

取り調べでは、「外国人がこの国で好き勝手できると思うな」と脅された。暴力を振るわれるとは思わなかったが、膝の震えは止まらなかった。

(この後、北角氏は尋問の実態を語り、日本は「関係し続けることが大事」と訴えます。2021年7月18日号掲載記事