映画「祈り 幻に長崎を想う刻(とき)」ーー原爆直下の浦上天主堂のマリア像と信徒らの祈念
1945年(昭和20年)8月9日(木曜日)午前11時02分。広島に次いで人口24万人(推定)の長崎市に向けて人類2発目の原子爆弾が投下され、およそ7万4千人の市民が爆死した。その後、原爆で焼け落ちた浦上天主堂の被爆遺構問題が巷間に議論される頃、天主堂の「被ばくマリア像」と名付けられた頭部が忽然と姿を消した。この出来事に触発された長崎出身の劇作家・田中千禾夫(たなか・ちかお、1905年[明治38]10月10日~1995年[平成7年]11月29日)が、1959年(昭和34)に書き下ろした戯曲「マリアの首ー幻に長崎を想う曲ー」(同年の第6回岸田演劇賞受賞、翌60年に第10回芸術選奨文部大臣賞受賞)の初映画化。実存主義演劇を開拓した田中千禾夫の代表作の一つだが、舞台劇の趣き香る映画演出が敗戦後を懸命に生きる市井の人々と被ばくしたカトリック信徒らの祈りと願いを現在へのメッセージとして迫りくる印象的な作品。
被ばくした浦上天主堂から聖母
マリア像のお顔を取り戻したい
1957年冬の長崎。未だ瓦れき状態の浦上天主堂が保存か、撤去かで巷間騒がしいなか、被ばくした聖母マリア像の石片が盗まれているという。ケロイド痕のように変色した聖母マリアの顔像の前で祈るカトリック信徒の鹿(高島礼子)。鹿自身被爆者だが、昼間は病院の看護師として患者に尽くし、夜は住処の合同市場で心身に深い傷を負った男たちを癒すため娼婦を使命としている。
鹿の信徒仲間の忍(黒谷友香)は、原爆症が疑わしい夫・桃園(田辺誠一)を介助して昼は保母として働き、夜は合同市場で夫の詩集を売っている。また、被爆後間のない実家跡で自分をレイプし、母の形見の宝石指輪を奪い去った男に復讐を遂げたい執念を胸に抱いて捜している忍。その男・次五郎(金児憲史)が、顔役として共同市場と娼婦たちを仕切っているのを忍は目撃した。
同じ教会の信徒で傷痍軍人の霜村(城之内正明)に浦上天主堂から聖母マリアの石像の欠片を盗みだしていた鹿は、夜の客・多良尾(寺田 農)から浦上天主堂を撤去することが決まったことを知った。聖母マリア像のお顔と頭部がまだ回収できていない。また、天主堂が撤去されると原爆に被ばくした長崎と犠牲者たちは忘れされてしまうのか。忍は、自分に憧れを抱いている一ノ瀬(村田雄浩)に協力を仰ぎ、鹿たちとともに、長崎に雪が降ってきた夜に被ばくした聖母マリア像のお顔を天主堂から持ち出そうと決心するのだが…。
「長崎を最後の被爆地に」願い
キリシタン弾圧の史話も挿入
原作の戯曲の展開を骨格に、原爆投下は長崎に何か罪があったからなのか、戦争と核兵器などの重いテーマが演劇映画の妙を醸しながら語られていく。一つ、原作にはないキリシタン弾圧の史話が印象的に挿入されている。1867年(慶応3)に起きた浦上四番崩れ(キリシタン摘発・改宗強要への拷問)では、ほどなく江戸幕府は瓦解し、事件中に政権は明治(1868年10月)に変わったがキリシタン禁教政策は引き継がれ、拷問・流罪は実施された。20代の信徒・岩永ツルも流罪に遭った一人だが、厳しい拷問を受けても改宗しなかった。やがて明治5年にキリシタン禁教の高札が廃止され、岩永ツルも浦上に帰ることができ1925年(大正14)で亡くなるまで浦上で伝道に奉仕した。鹿の信仰のルーツとして鹿役の高島礼子が演じているが、雪の降る浦上天主堂で祈る姿のラストシーンが美しい。
松村監督は、この作品について「ロケーション現場の長崎という土地が自然な演技を引き出したと思います。長崎出身の美輪明宏さんも聖母マリアの声で出演されるなど、この作品の出演者、スタッフやご協力くださった様々な人たちが “長崎を最後の被爆地に” との思いで一つになった作品です」と語っていた。ナガサキへの原爆投下から76年目の夏を迎えている。松村監督とスタッフ、出演者の願いと祈りを伝え続けたい。 【遠山清一】
監督:松村克弥 2020年/日本/110分/映倫:G/ 配給:ラビットハウス/K ムーブ 2021年8月20日[金]よりシネ・リーブル池袋、UPLINK吉祥寺ほか全国順次公開。8月13日[金]よりユナイテッド・シネマ長崎、佐世保シネマボックス太陽にて先行公開。
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*AWARD*
2021年:第16回ロサンゼルス日本映画祭(10月4日~10日開催予定)公式招待作品。