稲垣氏「コロナ惨禍をどう受け止めるべきか」 「いのちより経済」優先への警告では? キリスト教葬儀プランナー養成塾@オンラインサロン

東京基督教大学(TCU)国際宣教センター キリスト教葬制文化研究会主催による「キリスト教葬儀プランナー養成塾@オンラインサロン」の第4回目が10月11日に開催。稲垣久和氏(TCU特別教授)が「聖書の死生観:神の恩恵と裁き─コロナ惨禍をどう受け止めるべきか─」の題で話した。聞き手はTCU神学部准教授の篠原基章氏。
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稲垣氏は、1年9か月に及ぶコロナ禍の現状を見て、「新型コロナウイルスから挑戦を受けているのではないか、という思いがある」と語る。「ソーシャルディスタンスを取る、三密を避ける、対面ができない。これらはキリスト者にとって大変苦痛だ。『死』も身近なところに忍び寄ってきた。医療崩壊が起き、コロナにかかって救急車で運ばれても病院も満杯。入院できず亡くなる人も出た。いのちの選別(トリアージ)も余儀なくされた。これは歴史的な大事件だと思う」
「現代人は死を生物学的な自然現象としてしか捉えないが、聖書は『いのち』と『死』は神の前に対極的な事態として捉えている」と、「死」についても触れた。▽アダムは「食べると直ちに死ぬ」と言われた木の実を食べたが、直ちに死ななかった。そこに神の甚大な恩恵が注がれていた。▽旧約最後の場面でイエスが登場し、「神の国」(「いのち」の国、エデンの原契約)の到来が告げられ、永遠の「いのち」への招きと神の文化命令への参加の喜びが全人類にもたらされた。▽イエスの十字架の死と体の復活は、人間の究極の「死」への途方もない解決であり、「死」と「死からの体の復活」により私たちに新しい「いのち」を約束してくれた、などを挙げ、「イエスが十字架にかかり死なれたのは、人類最大の苦悩である『死を滅ぼす』ためだった」と語った。

稲垣氏

だが、「人の死が日常化し、社会そのものが分断され、貧富の差が広がり、聖徒の交わりができないこの状況は、これらの聖書のメッセージと正反対だ。コロナ禍は神様からの強い警告、裁きではないかと私自身受け止めた」と指摘。

(このあと稲垣氏は、クリスチャンの人間観への悔い改めと出ていくことの責任、を語ります。クリスチャン新聞2021年10月24日号掲載記事)