本稿の写真は撮影=酒井洋一

壊された看板を見た時には怒りが込み上げた。食い道楽の街、大阪道頓堀でかに料理専門店「かに源」を経営する武田源(げん)さん(大阪純福音教会員)。店の大事な看板が壊されてしまったのだ。監視カメラの映像には、深夜、泥酔した男二人が面白半分で看板を破壊する姿が映っていた。その映像がテレビで度々流れて注目されたこの一件は、武田さんが「罪人を赦(ゆる)すのが神の愛」とテレビインタビューで明言してさらに周囲を驚かせた。武田さんに赦しを迫ったのは、イエス・キリストが罪人を赦す、聖書に描かれたあの場面だった。【やまのみち薫】

 

名物看板を壊され…
「僕も赦されて生きてきた」

4月5日深夜、この看板が引き倒され破壊された。かに足が数本折れてしまっている

「けしからん。赦せません」
今年4月の被害直後のテレビインタビューでは武田源さんは悔しさをにじませた。5年前の開業以来、同じ通りに軒を並べる有名かに専門店に追いつけ追い越せと様々なアイデアを繰り出して、テレビ番組でもたびたび紹介されている「大阪かに源」。かにの足が何本もそそり立った高さ2メートルを越える看板は、店のシンボルとして人目を引いた。それが壊されてしまったのだ。
監視カメラの二人は、人通りのない深夜、はしゃいだ様子で看板を何度も蹴り、最後は引き倒して走り去った。その映像はメディアで何度も流れ、武田さんのインタビューもたびたび全国放送に乗った。被害届を提出し、警察が器物損壊事件として捜査を始めた。
私たちがやりました、と二人の青年が武田さんを訪ねたのは3日後。働いていた飲食店をコロナ禍の影響でクビになり、むしゃくしゃして酒に酔ってやったという。緊急事態宣言下で経営に苦しむ自分の姿と重なり、「二人もコロナの被害者や」と感じたという。翌日には青年の一人の祖母も謝罪にやってきた。「代わりに刑務所に行く」と言って土下座する祖母に、「そんなことする必要ない」と武田さんも土下座で伝えた。
被害届の取り下げを考え始めた武田さんに、商売仲間や警察関係者からは「示しがつかない」と意見も出たが、「教会のみなさんにも相談して祈ってもらいました。私も昔はいろいろありましたが、赦されて生きてきた。だから、二人を赦したかったんです」
「ヨハネの福音書の、イエス様と姦淫(かんいん)の女の話を思い出したんです。罪を犯して公の場でさらしものにされる女を、『罪のない者から石を投げなさい』とイエス様は赦された。私も、イエス様のおっしゃる通りにしたかったんです」

 

「必ず光が見える」 希望
くれた言葉を加害者にも

キリスト教会に通い始めたのは4年前。妻と不仲となり、口論が絶えなかった当時、妻が子どもたちを連れて家を出てしまう。
「私は子どもたちに会えなくなってしまったんです。本当につらかった」
なんとか子どもを取り返そうと手を尽くすが状況は好転せず、思い詰めた武田さんは妻に危害を加えようと刃物を手に車に乗り込んだ。
話を聞いた友人が「おれが見届ける」とついて来たという。ところが目的地に着くと、友人は一転。武田さんを殺人犯にすることはできないと身を呈(てい)して止めてくれた。もみ合いとなり、二人ともケガを負うなかで、友人は何度も「必ず神様の光が見える。信じよう」と口にした。クリスチャンだったのだ。
その友人に連れられて出かけたのが大阪純福音教会。初めてのキリスト教会。こんな自分でも救われるなら、とわらにもすがる思いだった。
「教会に入った瞬間に心を打たれたんです。十字架が光のようで、目を閉じている方がはっきりと見える感覚でした。今まで経験したことのない温かさと光を感じて、涙が止まりませんでした」
「それからは教会に通って祈り続けました。いつも泣きながら祈っていました。教会に行けば心が落ち着いたんです」
初めて教会を訪ねた日から1年後、教会の仲間に祝福されながら兵庫県明石市の海で洗礼を受けた。
看板を壊したことを名乗り出たあと、二人の青年は武田さんの通う教会にやって来た。
「かならず光が見えるから」
刃物を持ち出した夜に友人が叫んでくれたのと同じ言葉で、武田さんが青年たちを誘ったのだ。二人は並んで聖書を開き、導かれて祈った。そして今も教会に通っている。
「僕に言われたら来ざるを得んかったでしょうね」と武田さんは笑うが、青年たちはそうでもなかったらしい。武田さんが「義理で来なくていいぞ」と伝えると、「僕たちは武田さんのことを信頼しています。いつかイエス様のことがわかると信じています」と答えたという。
「二人の心に種をまくことができたんだなと神様に感謝しました」
テレビインタビューで「僕はクリスチャン。キリストの教えは人を赦すこと」と大きな声で記者に答える姿に、複数の視聴者から「感動しました」とうれしい手紙が届いた。教会の若者からは「僕も公言できるようになりたい」と打ち明けられた。
自分の子どもに会えない状況は今も変わらない。住んでいる場所さえ知らない。以前は「いつまでこんな状況を許しておられるのですか」と訴えて祈っていたが、今は、毎朝、起きると窓を開けて「すべてをゆだねます」と祈り、最後に「主よ!」と叫ぶ。「会えないことにも何か神様の意図があるはず」と信頼しているからだという。コロナ禍で経営が苦しいときにも、自身がコロナに感染して意識不明になったときにも、神様が常に守ってくださった。だから、神様がどんな奇跡を起こしてくださるのか期待して祈っている。

クリスチャン新聞web版掲載記事)