「パラスポーツ発展に貢献したい」 パラ水泳メダリスト 鈴木 孝幸さん
東京パラリンピック(以下・東京パラ)水泳で男子100m自由形S4クラス(運動機能障害)の金メダルを含む5つのメダルを獲得した鈴木孝幸選手(〔株〕ゴールドウイン社員、日基教団・遠州栄光教会員)が11月1日、東京・千代田区のお茶の水クリスチャン・センターで、本紙、日本国際スポーツパートナーシップ(JiSP)、日本CGNTVの合同取材に応じた(11月14日号で一部既報)。先天性の四肢欠損という障害を持つ鈴木選手は、高校3年生の時に初めてパラリンピックアテネ大会に出場し、以後、5大会連続出場し、東京パラでは競泳陣の主将を務めた。メダルなしに終わったリオ大会後は引退も考えたという鈴木選手。東京パラでの大活躍の背景にあった心情などについて話を聞いた。【中田 朗】
会社に就職し、水泳も仕事に
「しっかり結果を残さないと」
─金メダルを含む五つのメダルを獲得したが、いちばん印象に残ったレースは。
最初のレース(50m平泳ぎSB3、銅メダル)がいちばん印象に残っています。メダル獲得がいちばん難しいと思っていて、メダルが取れるかどうかで今後の勢いにも関わってきます。イメージを膨らませて、その感覚で泳げるように、レース前のトレーニングも気をつけてやっていました。北京パラリンピックでも50m平泳ぎで金メダルを取っていますが、その頃は勢いもありました。泳ぐたびに自己ベストを出していましたし、行けるという確信を持ってトレーニングしていたのを思い出します。北京と東京では、そこに至るまでのプロセス、置かれている状況が違うので、感情的には違ったものがあったと思います。
─パラリンピック出場は5回目だが、その間の水泳に対する思いの変化はあったか。
アテネから北京までは仕事ではなかったので、あまり結果に対して執着しないというか、どちらかというと自分でチャレンジしていくという面が強かったです。北京が終わって会社に就職し、水泳も仕事という形で扱っていただけるようになってからは、しっかり結果を残さないといけない、という責任感は出てきたと思います。また、ゴールドウインの社員になってからは、チームオーダーの受注生産に関わりました。そのウェアを着て泳ぐ選手が活躍するのは、本当にうれしいなと。応援する側の気持ちも経験させていただいています。
─リオ大会の時は初めて一個もメダルが取れず、引退も考えたとか。
そういう気持ちになっていました。けれども、しっかりトレーニングをし、結果に変化があれば東京パラを目指そうという思いはありました。リオ以降は、より考えてトレーニングすることを意識しました。トレーニングの目的を理解すること、自分がどういうコンディションになれば質の高い泳ぎができるのか、大会に向けてどういう練習を積めばいいのか、そして、質の高いトレーニングを継続していくうちに、タイムがメダル圏内にまで上がってきたのです。
「常に見守ってもらえている
という感情がどこかにある」
─小さい頃から教会で育っていると聞いた。教会は鈴木選手にとってどんな所か。
落ち着く場所、気持ちを新たにできる場所ですね。これまでのことを礼拝の中で報告し、次のことについて考えられる。説教を聞いて感じることもあり、学びの場所でもあります。教会の皆様には、水泳を始める前から支えられています。水泳に関しては、以前から応援してくださり、本当にありがたいなと思っています。
─信仰を持ったきっかけは。
里親がクリスチャンで、小さい頃から教会学校に通っていたので、気が付いた時から教会は当たり前で、その延長線上で信仰を持ちました。常に見守ってもらえているという感情がどこかにあり、そこが信仰を持っていない人とは違うかなという思いはありますね。大切にしている言葉は、「継続は力なり」です。すぐに見切りをつけるのでなく、もう少し頑張って続けたら、道は開けるということがあります。また「いつも喜んでいなさい」(Ⅰテサロニケ5・16)は、私の好きな聖書の言葉です。
─今後については。
国際パラリンピック委員会(IPC)のアスリート委員に立候補し、選ばれました。アジアのパラリンピックの発展に貢献したいとアピールして選ばれたので、そこはしっかり果たしていきたい。私は今イギリスの大学の大学院生でもあるので、まず博士論文を仕上げること、水泳でも自己ベストを出すこと。これらは引き続き頑張っていきたい。現役を引退してからも、パラスポーツの発展に貢献していきたいと思っています。(このインタビュー内容はスポーツ選手へのインタビュー番組「スポーツコア」(URL https://m.youtube.com/channel/UCoa5ZaIs7ywm3rRvEh_ZsZw)で近日紹介される)
(クリスチャン新聞web版掲載記事)