森下辰衛 三浦綾子読書会代表。三浦綾子記念文学館特別研究員

危険な漂流を始めた魂が
 変わることない愛に出会う

堀田(のち三浦)綾子は1922(大正11)年旭川に生まれ、39(昭和14)年、16歳で小学校教師になりました。子どもたちに「あなたたちはお国のために死ぬのですよ」と疑いもなく7年教えて敗戦。心は引き裂かれ、言葉を失います。

命がけで教えていた教科書に墨を塗らせることは、それまでの自分の人生を否定することでした。追い打ちをかける結核、脊椎(せきつい)カリエス。道なく、信じる真理なく、危険な漂流を始めた魂は、しかし幼なじみのクリスチャン前川正を通して、変わることのない神の言葉と真の愛とに出会いました。

いのちにつながれた彼女の魂と言葉と身体は回復し、前川亡き後出会った三浦光世と結婚。小説によってこの国の魂に神の愛を教え、死ぬ道でなく生きる希望を指し示す教師になりました。
99年に召されるまで三十数年間、多くの病と闘いながら、夫の助けを得て、約100冊に及ぶ著作を、書き続けました。

「なぜ苦難、罪があるのか」

最後の小説『銃口』のセリフに「人間が人間として生きるというのは、実に大変なことだなあ」とありますが、彼女にとって書くことは、人間が人間として人間らしく生きることを妨げるものと戦うことでした。その敵は罪と苦難、そして人間を抑圧する力でした。

『氷点』の佐石土雄は、タコ部屋と戦争で人間であることを半ば奪われ、苦難に打たれ、遂には幼女誘拐殺人の罪を犯して自殺しました。

彼の人生はそのまま二つの問いでした。すなわち「神が愛ならば、なぜ人生に苦難があるのか?」という問いと、「なぜ人は罪を犯さずに生きてゆけないのか?」という問いです。この佐石土雄(「土雄」は「アダム」の直訳)が示す全ての人間に不可避な二つの問いに答えてゆくことが、三浦文学の目的になったのでした。

三浦綾子は、『氷点』のテーマ〈原罪〉とは、神の方を向こうとしない人間の性質のことだと言っていますが、それが人の心を、家庭を、そして遂には国際関係さえもゆがめ、争いと不幸を引き起こすものであることを、三浦綾子はえぐり出し〈罪〉に気づかせようとした作家でした。認罪こそ救いの道の入口だからです。

 2022年に『泥流地帯』『われ弱ければ』映画化

抑圧された庶民に希望

2022年に映画化または上映が予定されている作品が『泥流地帯』と『われ弱ければ』です。『泥流地帯』は火山噴火で生じた泥流被害を題材に、苦難の意味を問う物語です。

東日本大震災以降増刷されて多くの日本人に読まれましたが、自然災害が懸念される今後も、指針と希望を与える作品であり続けるでしょう。

『われ弱ければ』は天保から大正まで生きた教育者で婦人運動家の矢嶋楫子の伝記小説です。過酷な男尊女卑時代の苦難、女性・母親としての失敗、しかしそれらの弱さを通して女性と家庭と平和のために大きな働きをなす生涯を描きました。

人間を抑圧する権力と庶民の相克の向こうに歴史の真の支配者でありかつ人間に寄り添ってくださる神が浮上するという構図は、三浦綾子が作家人生の後半に探求したテーマでした。

彼女は自伝とエッセイも多く、老老介護される日々にも「私にはまだ死ぬという大切な仕事がある」と語り、病をも賜物として、全てを神の愛の証明としたいと願いました。

1999年三浦綾子の葬儀前夜式で読まれた聖書は「イエスは涙を流された」(ヨハネ11章35節)でした。

罪と死に憤り、悲しみと絶望に寄り添って涙を流し、墓穴のラザロを見出しよみがえらせたイエスの眼差し。ここに愛があり命がある。

人間を人間らしく生きられなくさせるものからの解放と回復がある。このイエスこそ、罪、苦難、人間を非人間化し抑圧する力と闘った綾子が生涯かけて伝えたかったものでした。

2022年は生誕100 年。三浦綾子読書会、三浦綾子記念文学館でも様々な企画を準備しています。

クリスチャン新聞web版掲載記事)