「聖書とコロナウイルス流行」吉田隆氏講演 教会と信仰者のあり方見直すチャンス
大阪キリスト教連合会主催オンライン研修会が2021年11月26日に行われた。「聖書とコロナウイルス流行〜キリスト者には今、どのような使命があるのか」をテーマに、神戸改革派神学校校長で日本キリスト改革派教会・甲子園教会牧師の吉田隆氏が講演した。
伝道者の書7章14節から「順境の日には幸いを味わい、/逆境の日にはよく考えよ」と示して、キリスト者はコロナ禍をどうとらえ、行動してきたか。そこに表された使命を考察した。
吉田氏は2011年、仙台で東日本大震災に遭遇した。すぐに仙台キリスト教連合被災支援ネットワーク(東北ヘルプ)を発足して、被災者や被災教会の支援活動に乗り出した。震災は「信仰が根底から問われた体験。人間の死を間近に見て、生と死の境がどこにあるのかを問われました」と、当時を振り返った。
今も続く放射能の「目に見えない恐怖」。毎日線量を測りながら生活することの大変さ。それは体験しなければわからないことだと思っていたら、コロナ禍で同じことを感じることになった。
「目に見えないウイルスの不安、恐怖。その中で信仰者はどのように生きていったらいいのか、共に考えましょう」
1年半、世界中の教会が外的側面と内的側面でのチャレンジを受けている。まず本来集まる場と人を意味する「エクレシア」なる教会が、集まれなくなった。オンラインを用いた伝道の可能性を開く機会になったとしても、リアルな対面を越えるものではない。さらに深刻なのは、内面に起こった見えないものに対する恐怖だ。
マスコミが人々の恐怖心に追い打ちをかけたと、吉田氏は見ている。同じような状況が、東北でもあった。放射能の影響について、マスコミは政府といっしょに「大丈夫だ」と、流し続けた。コロナ報道とは逆だが、本質は同じだ。
「東北にいる私たちには、そのことばは少しもリアルではありませんでした。私はマスコミを信じなくなりました」
教会はクラスターを恐れ、集まらないことで命を守ろうとした。すると、外出しないことで衰えたり、認知症や心の病気が進んだ人もいた。自死も増えた。
「体を守ることで損なわれる命があるのではないか。私たち信仰者は、霊的命が枯渇していないだろうか。コロナ禍によるチャレンジは単純ではない。多様な側面に受けているのです」
聖書の疫病に対する考え方は、神による懲らしめとして与えられるものだ。そこに信仰者が求められるのは、神への畏れだ。
「病をもたらすのも、取り去るのも神。守ってくださるのも、守られなくとも、神は愛です。これがキリストによってもたらされた福音です」
距離を取ることが盛んに言われたが、神と人、人と人との距離がない状態こそ、神が創られた状態だと指摘。人間が神から離れようとしたことで、罪の結果として距離が生まれた。
「信仰者の苦悩は、神を遠くに感じることです。神の救いとは距離をなくすこと。『私はあなた方と共にいる』ということばを体現されたのがイエス・キリストです。イエスは御子でありながら、神と距離を取って十字架にかかられた。これにより、神と私たちの隔てがなくなったのです。愛は状況に関わらず、単純に距離を超えていきます。医療、福祉従事者の姿から、命を支えようとすれば距離は取れないのだと教えられました。もう一度、距離を超える福音というものに生きる私たちに求められていることを、考え直したいものです」
「逆境の日にはよく考えよ」。吉田氏は、神から与えられた苦難に遭うのは、考えるチャンスだと繰り返した。
「教会のあり方、信仰者のあり方を考え直し、この事態を乗り越えるにはどうしたらいいか、頭を使い、祈りを用いてあたっていけば、次はさらに豊かなあり方を神から与えられるのではないでしょうか」
(クリスチャン新聞web版掲載記事)