デズモンド・ツツ大主教が遺した「真実和解」 失われた関係を修復する正義

写真=デズモンド・ムピロ・ツツ=1931年10月7日〜2021年12月26日。南アフリカ聖公会の元ヨハネスブルク/ケープタウン大主教(写真は南ア聖公会HPより)

20世紀最悪の差別といわれたアパルトヘイト(人種隔離)政策の撤廃に尽くし、ノーベル平和賞を受賞した南アフリカ聖公会のデズモンド・ツツ元大主教が昨年12月26日、90年の生涯を閉じた。アパルトヘイト後に全民族融和を目ざしてマンデラ大統領が設置した「真実和解委員会」の委員長を務めた。

 

和解が最も困難な状況で「修復的正義」に基づき社会を立て直す実践の試みとして注目された同委員会の働きの意味を、北海道メノナイト平和宣教センター理事の片野淳彦氏に解説してもらった。

 

 

南アフリカ聖公会のケープタウン大主教を務め、ノーベル平和賞の受賞者でもあるデズモンド・ツツ氏が死去した。アパルトヘイト政策を批判し、人種差別の撤廃と南アフリカの民主化に尽力した。非暴力による体制変革を主張し、体制を維持しようとする政府や白人保守派はもちろん、武力闘争を主張する黒人グループにも批判的だった。本稿では、彼が委員長として携わった真実和解委員会(TRC)の働きをふり返り、彼の功績を追想したい。

1994年4月の自由選挙により成立したネルソン・マンデラ政権は、アパルトヘイト時代に行われた数々の人権侵害への対応としてTRC(Truth and Reconcil-iation Commission)の設置を決め、ツツを委員長に任命した。

 

TRCには人権侵害(被害について証言する公聴会を行う)・恩赦(申請者に真実を開示させる)・補償復帰(被害者・遺族への補償について勧告する)の各小委員会が設けられ、第二次世界大戦後のニュルンベルクや東京などのいわゆる戦犯法廷方式をとらず、人権侵害の被害者や遺族の語りを重視し、政治的動機にもとづく人権侵害につき真実を包み隠さず証言した加害者に恩赦を与えることとした。

ツツによれば、TRCの方針の根底にあったのは修復的正義の思想であり、それは「ウブントゥ」というアフリカの伝統的な人間観にもとづく。ウブントゥとは、人間性の本質を関係性にみる視点であり、他者との良好な関係が保持されてはじめて人は人間らしく生きられると考える。あらゆる不正義は、この関係性を傷つけウブントゥを失わせるものであり、正義を実現することは、失われたウブントゥが回復され関係が修復されることに他ならない。

アパルトヘイトのもとで奪われたものを、被害者が逆に奪い返しても、加害者を非人間的に扱う限りウブントゥは回復されない。被害者だけでなく加害者もまたアパルトヘイトから自由になる必要があることを、ツツは説いた。この修復的正義の思想は、今日の聖書理解にも変革をもたらしている。

抑圧体制や武力紛争などの人道危機から民主的政治体制へ移行した地域で、過去の深刻な人権侵害を清算し、被害者の救済と社会の再建をはかる働きを移行期正義という。古くは前述の戦犯法廷から、1980年代のラテンアメリカや90年代の旧ソ連・東欧における民主化プロセス、ルワンダや旧ユーゴスラビアにおける国際刑事裁判などで具体化され、南アフリカのTRCとそれに続く各国での真実委員会もこれに含まれる。移行期正義の取り組みを概念化すると、下の図のようになる。

移行期正義には、一般的な法の裁きになじみにくい場面が少なくない。民主化以前の人権侵害は、当時の法律では合法とされていたり、事件から長期間経過したりして、違法性を立証しにくい。しいて超法規的に処罰すれば、かつての抑圧体制と変わらなくなってしまう。かくして紛争後社会では、図に点線で示したような、復讐(ふくしゅう)心をつのらせる人々と黙って泣き寝入りする人々とが分断されることになる。移行期正義は、この分断状況を是正する仕組みを模索してきたのである。

たとえば戦後の東京裁判では、戦勝国が「平和に対する罪」を導入して戦争犯罪を裁いたことや、容疑者の訴追が完了しないうちに裁判が終了したことなど、「勝者の裁き」という性格が強かった。その後の国際刑事裁判ではこれを改め、国際機関が第三者の立場で手続を行い、国際人道法に違反した個人を裁くようになった。一般の刑事裁判と同様、加害者の訴追・処罰を中心とした応報的正義の制度といえる。

これに対し、修復的正義の思想を導入したTRCは、被害者の語りと真実の究明に重点をおくことで、復讐でも泣き寝入りでもない移行期正義の可能性を示したといえよう。

公開を原則とする公聴会により、誰もが証言し、また証言を聞く機会を得た。加害者は真実の開示と引き換えに恩赦を得る一方、氏名を公表され、ときに被害者や遺族の前で証言することを余儀なくされた。厳粛を損ねるとして法廷では忌避される嗚咽(おえつ)や激昂(げきこう)といった感情の表出も、公聴会では自由に行われ、痛みと苦しみが共有された。

ただし、TRCは理想的な移行期正義だったわけでも、国民の和解を実現したわけでもない。アパルトヘイトは正しかったとするいわば確信犯は、そもそも恩赦を求めず、証言も謝罪もしなかった。TRCは加害者に直ちに恩赦を与えられる反面、被害者への補償は大統領と議会の裁定を待たねばならなかった。総じて国際社会では肯定的な評価を受ける一方、南アフリカ国内では否定的な評価が目立ち、政権与党は報告書の非公開を求める裁判まで起こした。

それでもTRCが、予算や裁量権が制限される中で、前述の困難を抱える移行期正義の働きに、報復でも忘却でもない第三の可能性を提示したことの意義は決して小さくないだろう。いまや修復的正義の思想は世界的に普及し、この考えにもとづく裁判制度、学校教育、まちづくりが行われている。日常生活の場でウブントゥを回復することは、私たち一人一人の課題でもある。(片野淳彦=かたの・あつひろ

 

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