亡き両親の故郷ハノイへ寝台列車で向かうキット (C)MONSOON FILM 2018 LIMITED, BRITISH BROADCASTING CORPORATION, THE BRITISH FILM INSTITUTE 2019

昨年の東京オリンピックで金メダルを獲得した野球の日本代表チーム“侍ジャパン”やロンドンオリンピックで日本初の銀メダルを手にした“なでしこジャパン”など、自国民意識はアイデンティティをくすぐり自国応援への思いを沸き立たせる。本作の主人公キットは、ベトナム戦争・インドシナ戦争の混乱収まらない時代に、家族とともにボート難民としてベトナムからイギリスに亡命。30年ぶりに帰ったベトナムで、自身のアイデンティティを探し求めてサイゴン(現ホーチミン市)や、両親の故郷ハノイなどを旅するが、心に深くひび割れた溝を埋めものとの出遭いを求めたロードムービー。

ホーチミン市に降り立ち
両親の遺灰散骨地を探す

キット(ヘンリー・ゴールディング)は、インドシナ戦争などベトナム戦争後も社会主義体制へ移行するインドシナ三国が混乱状況にあった6歳のとき、両親と兄らとともにイギリスへ渡ったボート難民だった。両親が他界し、キットは母の遺灰を散骨するため30年ぶりにホーチミン市(旧サイゴン)の地に降り立った。兄は、父親の遺灰を持って家族とともに後日ベトナムに来る予定だ。

英国育ちで兄弟ともに英国の大学を卒業しているキットは、歩道と車道の区別もないような公道を自転車とバイクタクシーがひしめいて行き交う喧噪さに身の危険さえ感じながらホテルにたどり着く。何はともあれ英語を話せる従兄(いとこ)のリー(デビッド・トラン)を訪ね、6歳まで住んでいた町の界隈を案内してもらう。だが、ほとんど思い出はよみがえらず、再開発で街の様子はまったく様変わりしていて、両親の遺灰を散骨する場所を見つけるのは難しい。市内ツアーバスで周ってみるが、ガイドのアルバイトをしているリン(モリー・ハリス)が、両親の故郷ハノイ出身だと知ったキット。自分もハノイを訪ねるつもりだと言うと、ぜひ実家にも寄ってくださいと親しくあいさつを交わす。

キットは、ホテルに帰りると、ベトナムに来る前にインターネットで知り合ったアフリカ系カナダ人で同じ同性愛者のルイス(パーカー・ソーヤーズ)の自宅を訪ねる。キットは、ボートピープルでイギリスにわたり両親の遺灰を散骨する場所を探しに来たと打ち明けた。ルイスが、なぜ30年間もベトナムに来なかったのかと問われ、「両親が帰国を禁じたので、言いつけを大切に守った」と答える。ベトナムに定住しアパレル関係のビジネスを展開しているルイスにも、心の奥に何か重いものがあるのをキットも感じていた。キットはその夜、ルイスの家に泊まった。

リンの実家の蓮茶工房で蓮の花を選り分けるリン(中央右)とキット (C)MONSOON FILM 2018 LIMITED, BRITISH BROADCASTING CORPORATION, THE BRITISH FILM INSTITUTE 2019

キットは、両親の故郷ハノイへ向かう。列車で38時間。ホーチミン市の喧騒とした雰囲気とは異なり、昔のベトナムの懐かしい空気感が漂っている。バスツアーのガイドでアルバイトしていた大学生リンの実家を訪ねた。実家は昔ながらの製法で蓮茶づくりの工房を営んでいた。夜明け前に蓮の花を摘んできて選り分け、蓮茶になるまで27日間も手間暇かけるという。作業に招き入れられ、自分の想いの奥底に眠っていた昔ながらのベトナムを感じていたキット。だがリンは、「こんなのはもう時代遅れなの」といいながら、工房の後継に自分も期待されているであろう複雑な思いも垣間見るキット。ハノイにも両親を散骨するふさわしい場所は、思い当たらずホーチミン市に戻ったキット。ホテルの外はモンスーン(季節風)にのって降っていた雷雨が止んだ。キットの兄と家族がベトナムに来る連絡が入った。

アジアの情緒豊かに描かれる
ベトナムの戦後と現在の発展

監督・脚本のホン・カウ監督自身、両親はカンボジア系中国人で幼児期にクメール・ルージュ時代のカンボジアをボート難民としてイギリスへ逃れた経験を持つ。主演のヘンリー・ゴールディングもイギリス人の父とマレーシア人の母を持ち、イギリスに暮らしていても外国人とした見られない心の不安を感じてきたという。キットがベトナムでただ一人心を開けるような雰囲気を漂わすルイス役のパーカー・ソーヤーズは、自身の父親がかつてベトナム戦争に従軍していた経験から、帰還後PTSDに悩み苦しんでいた姿を見ていたいう。作者、演者ともにベトナム戦争とその後のインドシナの混乱期からベトナムの戦後の発展と現在を見つめている。その想いは、少ないセリフで演者らの表情と心象風景で描かれていく本作はアジアの気質と文化の軌跡をたどるロードムービーでもあるのだろう。

日本人にはなかなか感情移入しにくい難民とアイデンティティをテーマにした本作。だが、思えば1945年に敗戦を迎え、それまでの価値観が逆さまになるほどの経験をした日本だが、5年後には朝鮮戦争が勃発し神武景気へ経済が好転し、やがて高度経済成長へと発展していく。日本とベトナムは、政府開発援助(ODA)の最大供与国でもあり政治・経済面でも長く協力関係を築いてきており、現在は2020年末現在では、在留外国人数も韓国を抜いてベトナムが第2位に上昇している。ベトナムの現在を静かに語る本作にも心を傾けながら観たい。 【遠山清一】

監督・脚本:ホン・カウ 2019年/85分/イギリス=香港/映倫:G/原題:Monsoon 配給:イオンエンターテイメント 2022年1月14日[金]よりヒューマントラストシネマ有楽町ほか全国公開。
公式webサイト https://monsoon-movie.com

*AWARD*
2019年:ロンドン映画祭正式出品作品。カロヴィ・ヴァリ国際映画祭(クリスタルグローブ)ノミネート。アテネ国際映画祭(グローバル・アテネ)ノミネート。