映画「ザ・ユナイテッド・ステイツvs.ビリー・ホリデイ」――黒人の悲哀と人権を歌う「奇妙な果実」
18歳でコロムビアレコードからレコードデビューを果たしクラブ歌手として人気もあった黒人女性ジャズシンガー、ビリー・ホリデイ(実名:エレオノーラ・フェイガン、1915年[大正4]4月7日~1959年[昭和34]7月17日、享年44歳)。“All Of Me”などラブバラードなスタンダードナンバーになったヒット曲多いが、彼女を21世紀の現代にも語り継がせている代表曲は、24歳だった1939年にリリースされた“Strange Fruit”(邦題:奇妙な果実)といえる。南北戦争(1861~65年)から70年ほど経てもアメリカ南部に限らず黒人に対するリンチが都市部などでも横行していた。ビリー・ホリデイが1939年にレコーディングした「奇妙な果実」は、ニューヨークに住んでいたルイス・アレン(実名:エイベル・ミーアポル)が、リンチで縛り首で吊るされた黒人を白人たちが見ている絵葉書か雑誌の写真を見て作詞・作曲した楽曲。ニューヨークでは珍しい白人・黒人の統合ナイトクラブの「クラブ・ソサエティ」専属歌手だったビリーは、ステージの最後に「奇妙な果実」を歌い、この曲を目当てに来る客も多かった。だが、黒人へのリンチ告発しているこの楽曲に、アメリカ政府の当局は“非アメリカ的な曲”として歌うことを止めさせるため執拗なまでにビリーを監視し精神的にも追い込んでいく。それはなぜなのか。当時のUSAの連邦麻薬局(FBN:Federal Bureau of Narcotics)と黒人歌手ビリー・ホリデイとの熾烈な確執を描いている。
USA連邦麻薬局からターゲットに
されたビリー・ホリデイの闘い
物語は1957年、ラジオジャーナリストのレジナルド・ロード・デバイン(レスリー・ジョーダン )のオフィスでビリー・ホリデイ(アンドラ・デイ)がインタビュー録音に応じている。ビリーの親友でスタイリストのミス・フレディ(ミス・ローレンス・ワシントン)が約束のインタビュー謝礼を手渡す。レジナルドは早速、「面倒ばかり起こす曲(奇妙な果実)を歌い続けている 困った人!」と詰問すると、「(黒人の)リンチを見たことは? あれは人権の歌。政府は人権を忘れがち…」と応答するビリー。レジナルドは、10年前にビリーが専属歌手を務めていたカフェ・ソサエティで初めて彼女のステージを見て感動したと持ち上げながら、連邦麻薬局捜査官の身分を隠してビリーのショーを見に来ていたジミー・フレッチャー(トレヴァンテ・ローズ)や夫でマネージャーのモンロー(エリック・ラレイ・ハーヴェイ)らとのかかわりからビリーの人間性と連邦麻薬局との確執が始まったいきさつを聞いていく。
1930年からナイトクラブなどポピュラーソングやスタンダードナンバーなど幅広いジャンルの曲をジャジーに歌こなす人気歌手ビリー・ホリデイ。’39年にレコードをリリースした“奇妙な果実”は、黒人客と白人客が同席できるカフェ・ソサエティでのライブでビリーのラストステージに歌う一曲として有名になっていた。だが、アメリカ政府は、この曲が黒人の人権運動をあおると判断し、反乱の芽を摘むためにも歌わせないよう関係当局に命じる。連邦麻薬局の初代局長ハリー・J・アンスリンガー(ギャレット・ヘドランド)は、強烈な白人優位主義者でヘロインやマリファナなど麻薬を常用するのは黒人ばかりで、共産主義者は麻薬でアメリカを滅ぼそうとしているという思想の持主。麻薬防止対策のターゲットにビリー・ホリデイはじめ多くの黒人ミュージシャンをターゲットに取り締まりを強化いていく。すでにビリーの夫モンローやマネージャーを抱き込み“奇妙な果実”を歌わせないよう工作するが、ビリーは頑として歌い続ける。
ジミー・フレッチャーをおとり捜査官にしてビリーに近づけたのは、麻薬の所持と常用の証拠をつかむため。’47年、その時は訪れた。ジミーは捜査官らとビリーの部屋に踏み込み麻薬所持の現場で逮捕。裁判では1年と1日の実刑判決を受ける。アンスリンガーは、ジミーの捜査活動を評価し昇級させるが、さらに服役中のビリーに面会に向かわせ出所後もビリーに近づき監視するよう命じる。ミス・フレディからビリーがの少女の時にレイプされたトラウマや苦しみを聞かされたジミー。ビリーとも親しくなっていくうちに、黒人歌手としての孤独感や内面に秘めた芯の強さなどに触れ、それまで抱いた麻薬常習と飲酒、男にだらしないだけの黒人歌手ビリー・ホリデイというレッテルがしだいにはがれていく…。
麻薬戦争と人権運動のターゲット
にされたビリー・ホリデイ
本作の原作は、ジャーナリストのヨハン・ハリが著した社会・時事ドキュメンタリー“Chasing the Scream: The First and Last Days of the War on Drugs”(邦題『麻薬と人間 100年の物語』作品社刊、2021年)。その第Ⅰ部「“麻薬戦争”の始まり」で、連邦麻薬局長ハリー・アンスリンガー局長と麻薬常習者として取締りのターゲットにされたビリー・ホリデイを死に追いやったとの分析に着想して脚本化されている。実際、ビリーはアルコールと薬物依存であり、マネージャーそして取り巻く男たちに振り回されていたが、捜査当局によるおとり捜査と誇張されたイメージダウンに陥れられても「奇妙な果実」は、危険な南部でもライブツアーで「人権の歌」として続けた。また、ビリー・ホリデイの自殺説もある。だが、本作では内臓疾患で病院で死亡し、逃げることのないビリーの遺体でも当局は薬物所持での逮捕を固持する描写で閉じている。黒人に対する様々な偏見、逮捕現場など当局による過敏な対応での殺傷事件は、21世紀の今も続いている。日本でも人権を無視したような公権力の過剰な実力行使が問題視されているいま、ビリー・ホリデイが「人権の歌」として気概を込めて歌い続けたこの一曲に聴きとるべきメッセージがある。【遠山清一】
監督:リー・ダニエルズ 2021年/131分/アメリカ/映倫:R15+/原題:THE UNITED STATES VS. BILLIE HOLIDAY 配給:ギャガ 2022年2月11日[金]より新宿ピカデリーほか全国公開。
公式サイト https://gaga.ne.jp/billie/
*AWARD*
2021年:第93回 アカデミー賞主演女優賞(アンドラ・デイ)ノミネート。第78回 ゴールデングローブ賞最優秀主演女優賞(ドラマ部門)受賞、最優秀主題歌賞ノミネート。