弱さも開示し、謙虚な包括的宣教を 寄稿・井上貴詞 東京基督教大学准教授
表面からは見えない心の悲嘆
高齢者はそれほど孤独でないのか
「孤独・孤立の実態把握に関する全国調査報告」が4月8日に公開された(内閣官房)。
年齢階級別孤独感で高いポイントを示したのは30歳代の7・9%、70歳代は最も低く1・9%、80歳以上でも3%であった。すなわち、若年世代の方が孤独感を強く感じているという結果であった。
だが、これをもって「高齢者はそれほど孤独でない」と断言するのは早計である。戦中戦後の混乱を経験してきた高齢者には、「苦しくても我慢」「プライドと自立心ゆえの『孤高』は美徳」というメンタリティーが潜んでいる。特に、男性は、「弱みを出せない男性像」に縛られ、「助けて」「つらい」と表出しにくい。
若い伝道師Aは、教会の高齢者集会に楽しそうに参加していた一人暮らしの男性Sさん宅を訪ねた。A伝道師は「Sさん、会に楽しそうに出席されてハレルヤですね」と声をかけた。しかし、Sさんは「生きていて楽しいことなんかない」と声を荒げた。A伝道師は「Sさんの信仰はどうなっているんだ」と困惑した。
Sさんは、妻を亡くして1年半。まだまだグリーフワークのただ中にあり、深い喪失感と孤独を感じていたのだ。教会でのSさんの表面的なふるまいしか見ていなかった伝道師には、その悲嘆を察することができなかったのである。
孤独イコール単身世帯の問題か
一般的に「孤独」はひとりぼっちである精神的な状態を指し、「孤立」はつながりや助けのない状態を示すが、孤独・孤立は、ひきこもり、健康問題、自死とも結びつきやすい。1日にだれともコミュニケーションがないことは、タバコ15本分の有害さに匹敵する。
2030年には独居高齢者が約800万人。それとほぼ同数の高齢者二人世帯があり、高齢者世帯や高齢親子の孤立死もある。孤立死年間3万人時代の到来とは衝撃だ。緊急通報システムなどの市町村福祉施策は、総じて「独居者」が対象。民生委員の訪問も独居者が優先。ところが、認知症の配偶者の介護者が突然倒れて残った者が孤立死したり、三世帯同居でも深い孤独感から「死にたい」を繰り返し訴える方もいる。
教会に求められる取り組み
人々の協調的行動を活発にし、「信頼」「互酬性の規範」「ネットワーク」という要素を持つソーシャル・キャピタルという概念がある。ソーシャル・キャピタルが豊かであるほど、人々の健康や生きがいが増すという。
国は、03年に先陣を切ってこの概念の網羅的研究報告を出した。コロナ禍においても、国は「新しいつながり事業」を推進している。実のところ、このように国が主導して「人と人のつながり」を上から作っていこうとすることにはやや違和感がある。自発的で健全な市民活動が看過され、伝統的な地縁活動が幅をきかせると、目に見えない同調圧力や伝統的な宗教との絡みが出てくるからだ。
地域共生社会の実現のために錦の御旗のごとく「総動員」が叫ばれる時は、多様な価値を内包する市民的公共性は後退する。そして、それはしばしば宣教の障壁にすらなる。むしろ、教会が市民的公共性を生み出すソーシャル・キャピタルのひな型を示せることが肝要だ。
孤独・孤立は、神との交わりを深める好機でもあるが、極度の孤独は霊肉の不健康をもたらす。急増する孤立した高齢者世帯への伝道のアプローチは、孤独・孤立への支援とも重なってくる。まさに包括的宣教の出番である。
地域社会に教会が開かれ、、、、、、、、
(2022年5月8日号掲載記事)