映画「筑波海軍航空隊」--学徒出陣の海軍特攻隊らによる最後の証言と戦闘の記録
1943年10月。学業半ばで徴兵された出陣学生たち。海軍志願兵12万余のうち8500人が海軍航空隊飛行搭乗員に抜擢された。戦闘機教育部隊の「筑波海軍航空隊」に入隊した120人の予備学生のうち84人が神風特別攻撃隊に編入された。同期の桜として散って逝った者たちと生き残った特攻隊員たちの生い立ちと心情。90歳を超えた元特攻隊員らが当時の訓練の状況や友情や、見送った町の人たちの記憶などが語られ、思い出の地を訪ねる。旧筑波海軍航空隊がある地元住民らが、「自分の町でも戦争があったことに気づいてほしい」と立ち上げたプロジェクト茨城。年齢的にも最後のともいえる元特攻隊員たちの証言は貴重であり、重い。
元特攻隊員の木名瀬信也(95歳・きなせ・のぶや)さん、橋本義雄(92歳・はしもと・よしお)さん、一度出撃したが敵艦隊に遭遇せず基地へ帰還した柳井和臣(92歳・やない・よしおみ)さんらが、当時の訓練の情況を語たる。高等教育を受けた彼らは、通常4年かけていた士官教育期間をわずか4か月に短縮された。1000時間あった飛行訓練が200時間という厳しさ。
特攻出撃後に遺影を隣りに妻となった婚約者がいた者。小学校教員として尊敬され招魂碑を建てられ今も教え子たちに尊敬されているものなど、出撃して還らぬ人となった戦友たちのそれぞれに悩み覚悟した心情が、様々な記録とともにリアルに伝わってくる。
特攻隊兵らを見送り、彼らとの思い出を語る勤労女学生や町の人たち。この証言と記録のドキュメンタリーは、筑波海軍航空隊記念館の運営や講演、イベントなどをとおして住んでいる地域にかつて戦争があった現実を見つめようとするプロジェクト茨城の作品として制作された。そこには、“軍神”として奉られることを願った死ではなく、戦争に時代を生きるエリートとしてのプライドから必然的に選び取らざる得なかった死との向き合い方が見えてくる。
法整備が整えば国の戦力が万全になるわけでもあるまい。アメリカの押しつけ憲法などと揶揄されようとも、“武力行使による国際紛争の解決を放棄”する憲法9条を曲がりなりにも遵守してきた戦後70年。戦争できる普通の国のどこがいいのだろうか。「戦争はやっちゃいけませんな。…何でかと言うと、勝ったものも、負けたものもみんな損しているんだ」と語った木名瀬さんの表情が心に焼き付いている。 【遠山清一】
監督:若月 治 2015年/日本/DCP・BD/カラー(一部モノクロ)99分/ 配給:シグロ 2015年8月1日(土)よりヒューマントラストシネマ有楽町ほか全国順次公開。
公式サイト http://www.cine.co.jp/tsukuba_tokko/
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