映画「この国の空」--敗戦濃厚な戦時下、いのちと恋に揺らぐ心象風景
東京大空襲で焼け野原になっても続く連夜の空襲。本土決戦が巷間で取り沙汰され、決死の覚悟を感じさせられていた時代。それでも、男女の恋は生きていることの証を求めるかのように心を揺さぶり蠢かす。1983年に出版され谷崎潤一郎賞を受賞した高井有一の同名小説を原作に、戦時下、庶民生活をとおして日本人の心象が描かれていく。
東京都の西、杉並区善福寺町に暮らす母・蔦枝(工藤夕貴)と町会に勤める19歳の里子(富田靖子)。ある朝、自宅の防空壕が水浸しになっているのを見て呆然とする母娘に隣家の市毛(長谷川博己)が「うちの豪に入ればいい」と勧める。銀行の支店長を務める市毛は38歳。妻子を疎開させていて一人暮らしで、空襲に備え夜は自宅不在のことも多い。里子は、市毛の身の回りの世話をするようになり、お互いに家を行き来するようになっていく。
6月。伯母の瑞枝(富田靖子)が突然訪ねて来た。空襲で横浜の自宅を焼け出され、家族もみな焼け死んでしまった。「行く当てもなく、ここに置いてほしい」と懇願する瑞枝に、蔦枝はつれない返事をする。だが、里子の提案で生活費を少し入れることで同居暮らしが始まった。
日々の空襲とともに、食糧の配給も厳しくなる。食糧確保のため着物・帯を持って農家へ物々交換に出かける蔦枝と里子。帰りに河原でお弁当を食べながら、蔦枝は「市毛さんに気を許しては駄目よ…」と里子を諭す。だが、一方では市毛の存在に頼りがいがあり助かっている現実を前に「でも、こんな時代だから娘をよろしくって頭を下げに行きたいくらい」と、矛盾した母親の心情も吐露する。 ある日、市毛が大森支店にお米が入り、取りに来るなら分けてあげられるという。帰り路。神社境内で昼食を食べる市毛と里子。「女の人にはなにをやっても美しく見える時期ってあるんですね」と語り掛ける市毛。徐々ににじり寄ってくる市毛に、里子の心は揺れ動く。
“終戦70周年記念作品”と銘打たれた本作は、戦争で若い男たちはほとんど町に居なくなり、恋愛する情況でもない時代の若い女性の目を通して郊外での日常を描く。焼夷弾の雨を掻い潜るようなシーンは全くないが、疎開していく住人や空襲で焼きだされて頼ってきた親せき、30半ばを過ぎて徴兵された者のことを聞き恐々とする市毛の様子など、戦争が身近に現実になっていく恐怖感は静かに迫ってくる。父を病気で亡くし母と暮らしてきた里子は、年の離れた妻子ある男性に現実になりつつある死への恐怖を前に心を寄せていく。それは淡い恋というものではなく、女性としていのちをつなぐ性(さが)のようでもあり覚悟さえ窺わせる。戦争を生きている人間が、戦争後をどう過ごすのか。戦争時のホームドラマをとおして戦後の在り方が問いかけられいるようで、茨木のり子の詩「わたしが一番きれいだったとき」の情景とともに深い余韻が残る。 【遠山清一】
監督:荒井晴彦 2015年/日本/130分/映倫:G/ 配給:ファントム・フィルム、KATSU-do 2015年8月8日(土)よりテアトル新宿ほかにて全国順次公開。
公式サイト http://kuni-sora.com