【特集】「コロナ世代」に何が必要か つらいことばかりではない 「あなたと共にいる神」の希望 大阪女学院中学校・高等学校 副校長 山﨑哲嗣

新型コロナ感染拡大から2年が過ぎた。多くの学生にとって、学校生活の大半をコロナ禍の「新常態」で過ごしてきたことになる。その影響下の学生を「コロナ世代」と呼ぶこともある。対面授業、行事、交流、活動の機会が縮小された現実があるが、今後どのような影響を与えるか。若い世代にどのようなフォローが必要か。さらにこの状況下で見えてきた新たな可能性、希望とは。

「一人も残さず活かすために」 恵泉女学園学園長 廣瀨薫

闇の中でこそ光を放つ 「聖書」を礎とする幸い 金城学院高等学校  宗教主事 沖崎 学

つらいことばかりではない 「あなたと共にいる神」の希望 大阪女学院中学校・高等学校 副校長 山﨑哲嗣

人との接触、サポート減ったが、 新たな交流や教会を考える機会に 大阪聖書学院 学院長 岸本大樹

失うという経験を通して見出す光  新潟聖書学院 院長 塚田 献

つらいことばかりではない 「あなたと共にいる神」の希望
大阪女学院中学校・高等学校 副校長 山﨑哲嗣

 

「コロナ世代」というものが実在するかは知らない。だがこの新型コロナウイルスの影響があるのは事実だ。そこでこの2年半あまり、ミッションスクールとして何を大切にし、どのような気付きがあったのか記す。また学校は交わり・訓練・涵養(かんよう)を通して世に人を送り出すという点で、牧会と共通するものがある。読者の参考になればさいわいである。いくぶん雑感めいた文章となるのはご容赦いただきたい。

 

 ①本質を見抜く「必要なことはただ一つだけである。」(ルカ10・42)

 

「予測はしてたけどかなわんなぁ」というのが2020年4月の正直な気持ちだ。緊急事態宣言が発令され、学校を閉鎖した。しかし「礼拝は必ずしよう」と決め、まずはイースター礼拝を配信した。ミッションスクールは神の事業である。それを第一にしないと「家を建てる者の働きはむなしい」。

大阪女学院の3代目校長であったA・モルガン宣教師は「日常生活の雑事を越えて、物事の本質を見抜く」教育を説いた。我々のなすべきことをシンプルに考える。まず神の言葉を伝えること。次に世で役に立つ一人前の力を養うこと。学びの目的はそこに集約される。危機的状況下ではシンプルに考え、方法を最適化することが大切だ。

②優先順位と切り分け「皇帝のものは皇帝に、神のものは神に返しなさい。」(マタイ22・21)

学校法人は文部科学省の管轄下にある。感染対策に関する様々な通達を適用するなかで決めていたのは「それ以上でも、それ以下でもない」ことだ。当然色んな考え・感情・質問があったが、カエサル(行政)のものはカエサルに、神のものは神に。その切り分けを行ったうえで可能な活動を探る。

登校が再開した当初、礼拝をどのように行うか議論があった。チャペルに集まるのか、讃美歌を歌うのか。その基準は音楽の授業の感染対策をもとに、座席の間隔を空け、マスク着用なら讃美歌を歌えると判断した。説教を聴くことだけでは礼拝ではない。祈りと賛美のささげものが礼拝の本質である。特別の場合を除き、歌声は止まなかった。結果的に学校の霊性は保たれたと思う。

 

ヘールチャペル

 

③体として、エクレシアとして「集会を怠ったりせず、むしろ励まし合いましょう。」(ヘブライ10・25)

オンライン授業は相互交流が困難だ。大阪の、かつ女子校にとってこれは致命的だった。ふだんの「わちゃわちゃ」した会話が途絶えたことで、生徒同士の交わりや学び合いが減った。加えて行事を行えなかったことも痛かった。

本校の卒業生たちは異口同音に行事の思い出を熱く語る。机上の学び以上に大切なものがある。

この間の新入生に学校に行きづらい者が例年より増えたのは、それが原因だとみている。もともとある不安要素が増幅されてしまった。我々教員もその影響を過小評価していたのかも知れない。弱いところにまず痛みが現れる。キリストの体としての学校の反省点だ。

それらを通じて学校とは「場」であることを再確認した。知識の蓄積だけならオンラインで一人でもできる。しかし人格の成長は同じ空間を共有し、励ましあい、言語・非言語コミュニケーションを通じてしか養われない。さらに言えば「黙食」指導も本来止めるべきと思う。弟子たちはイエスと飲み食いを共にし、語らうことで成長したではないか。共同体=companyの語源は「パンを分け合い食べる」ことだ。

 

 ④共にいる神「恐れることはない、わたしはあなたと共にいる神」(イザヤ41・10)

とは言えつらいことばかりではなかった。在宅勤務・オンライン授業の際にICT(情報通信技術)の構築を加速し、生徒・教員間の課題・情報・資源の共有、会議短縮などを実現した。コロナ前に専従のシステム管理者をヘッドハンティングしていたことも功を奏した。神はこちらの意図を超えて必要な助け手を送って下さる。

個人的なことで恐縮だが、緊急事態宣言下では結婚目前の娘と最後の数か月間ゆっくり過ごせたこと、妻と娘は在宅勤務でなかったのでほぼ毎日私が夕食を用意したことも良い思い出だ。また私の担当授業はセッション形式で、様々な場所から生徒たちとオンラインで話した。ある時はスターバックスのテラスから、ある時は朝釣りのあと波止場から。どんな状況下でも楽しみは見いだせる。

本校は年間暗唱聖句を決めている。2020年の選者は私だった。その年の宗教部発行の冊子に寄稿した文を引用してこの話を終える。

 

「私たちがやがてこの世を去るのは自明の理です。ウィルスで死ななくても、他の病、災害、事故、事件、老衰…死の原因はいくらでもあります。不安の究極は死へのおそれです。しかしイエスはこのおそれを徹底的に解決しました。(略)聖書はイエスをインマヌエルと表現します。ヘブライ語で、神は私たちと共にいるという意味です。これから先、あなたがどこにいても、何をしていても、神があなたと共におられることを忘れないでください。平安を祈ります」

2022年09月18日号別刷掲載記事)