© Open Doors International

【オープン・ドアーズ】オープン・ドアーズの創設者であるブラザー・アンドリューが9月27日、オランダのハーダーヴァイクの自宅で94歳の生涯を閉じた。

感動的な回顧録「神の密輸商人」でよく知られているブラザー・アンドリューは、何年にもわたり鉄のカーテンを越えて密かに聖書を届けた。迫害されているクリスチャンを何としても助けたいという彼の思いは世界規模の支援に広がり、聖書や信仰書を密かに届ける働き同様、現在では緊急支援物資や、トレーニング、トラウマ・カウンセリングなど、世界中で何百万人もの人々に提供する支援団体に成長した。

オープン・ドアーズCEOのダン・オレ・シャニは、「ブラザー・アンドリューがそのミニストリーを始めたとき、まさかそれが60年もたたないうちに世界中の何百万人ものクリスチャンに届くことになるとは、想像もつかなかった。彼の働きに触発されて、オープン・ドアーズのネットワークは最も困難な状況にある多くのクリスチャンに手を差し伸べ、彼らの人生を変えるような支援を提供してきたのであり、しかもその数は増え続けている。それこそが、彼の驚くべき人生に対する最大の証しだ」と語る。

1928年5月11日、オランダのシント・パンクラス州ウィッテに生まれたアンネ・ファン・デル・バイエル(ブラザー・アンドリュー)は、隣国ドイツでナチスの勢力が台頭する中で育った。スコットランドで宣教師としての訓練を受けた後、1955年に世界的な共産主義者の青年集会に参加するためにポーランドへ渡った。トラクトを詰め込んだスーツケースを持ってやって来た彼は、鉄のカーテンの向こう側にある教会が孤立し、励ましを必要としていることを知った。

彼が1957年、ブライトブルーのフォルクスワーゲン“カブトムシ”にその国では非合法の聖書を詰め込んで、ユーゴスラビアと鉄のカーテンの国々の国境を横断したことは、10年後にジョンとエリザベス・シェリルの二人の協力を得て書かれた回想録「神の密輸商人」に、記念すべく書かれている。それは、当時ブラザー・アンドリューと呼ばれるようになっていたファン・デル・バイエルが書いた16冊の本のうちの最初の本で、1000万部以上売れ、35カ国語以上に翻訳されている。

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彼の聖書の密輸は1981年6月にクライマックスを迎えた。その日、20人のオープン・ドアーズのクルーが特注のはしけを操縦して、闇にまぎれて中国の海岸に上陸した。クルーたちは、100万冊の聖書を、一つ1トンの重さの232のコンテナに分け、岸で待つ中国人クリスチャンの小さな群れに届けた。そして彼らが、沈黙のうちに密かに聖書を国内に持ち込んだのである。

タイム誌はプロジェクト・パール「中国史上最大の作戦」と呼んだ。その記事は「スワトウの危険なランデブー」と見出しが付けられ、タイム誌の北京支局長は後に、20世紀で最も珍しく成功した密輸作戦の一つであると評した。

ブラザー・アンドリューはよくこう言っていた。「私たちの働きが “オープンドアーズ”と呼ばれるのは、いつでも、どこでも、すべてのドアは開いていると信じているからです。私はそのことを文字通りに信じています。行こうとする意志があり帰って来ることを心配しない限り、すべてのドアは開いていて、そこに入っていってキリストを宣べ伝えることができるのです」。彼が旅した記録は推定100万マイル、125か国に及んだ。

鉄のカーテンが取り払われた後、ブラザー・アンドリューはイスラム世界に目を向けた。中東や南アジアを訪れ、イスラム原理主義グループの指導者たちと個人的な会談を行った。キリスト教に対するイスラム教徒の暴力が拡大する中、ブラザー・アンドリューはクリスチャンたちに、報復をしないよう説いた。また、西洋で高まるイスラム憎悪への対抗策として、イスラム教の頭文字(ISLAM)を使って、「I Sincerely Love All Muslims」というフレーズを使用した。

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1993年、オランダのベアトリックス女王からナイトの称号を授与される。1997年には、苦しむキリスト教徒への生涯の奉仕と福音宣教への情熱が評価され、世界福音同盟の宗教の自由賞を受賞した。

しかし、彼が最も喜んだのは、鉄のカーテンの崩壊後、東ドイツから入手した秘密警察シュタージの報告書のコピーであろう。そこには彼について150ページ以上にわたって、ソ連や東欧での活動の詳細が記されていた。彼らは「ブラザー・アンドリュー」について多くの情報を得ながらも、彼の活動を止めることができなかったのだ。

ブラザー・アンドリューは、妻のコリーと59年間連れ添った。彼女が2018年1月に亡くなってから、5人の子供と11人の孫に囲まれていた。