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1975年の秋、フィリピンの首都マニラで国際宣教会議「ラブ・チャイナ」が開かれた。筆者もクリスチャン新聞記者として、やがて門戸が開かれるであろう中国宣教の課題について様々な人に取材した。特に、筆者の心に響いたのは、宣教団体「オープン・ドアーズ」の総裁・ブラザー・アンドリュー氏の苦難の中にある教会への宣教の情熱であった。
「今、世界には50億の人口(当時)があり、その半分の国ではキリスト教への迫害が続いている。そこでは自由に集会を持つことができず、聖書もない状態が続いている。我々、自由圏に住むクリスチャンは自由に礼拝を捧げ、伝道し、聖書もあり余るほど保有している。なぜ、我々にそんな信仰の自由が与えられているのか。それは苦難の中にある主にある神の家族を助けるためにあるのではないか。中国の門戸が今開かれようとしている。我々は、準備しなければならない。御言葉の飢饉(ききん)の中にある中国のクリスチャンに聖書を届ける準備をしなければならない」
このチャレンジを聞いた筆者は、日本の教会が中国宣教に重荷を持つ必要を痛切に感じ、自らもそれに加わる決心をし、祈った。翌年、筆者は、オープン・ドアーズのアジア地区支部があるマニラで、年に四回ほどの研修を受け、顧問団の一員に加えられ、アンドリュー氏参加の会議で何回も意見を交わす機会に恵まれた。
78年、オープン・ドアーズが、日本支部設立を発表、筆者に総主事の要請があった。だが、クリスチャン新聞の記者の働きを辞めるつもりはなく、ボランティアとして日本支部設立のため尽力をすることを約束した。そして、実現したのが、79年5月の東京・淀橋教会でのブラザー・アンドリュー氏を招いての宣教大会だった。当時は、組織がまだできていない時である。果たして人々は来てくれるのか。関東地区の400の教会に案内のチラシを送ったが、大会が近づくと不安が襲い、一人だけでも中国宣教に献身する人が起こされれば成功なのだと、変な理屈をつけて自分を慰めていた。
さて、当日になった。驚いたことに、開場の2時間前から、各地から続々と集まってくるではないか。会場設営に協力してくれた神学生から、860人の参加者が会場を埋めていると報告を受けた時、筆者は夢見る思いでその報告を聞いた。そんなに多くの人が中国宣教に興味を持つはずがない。
ではなぜ、人々は集まったのか、、、、、

2022年10月16日号掲載記事)