岩手県・復興祈念公園の伝承館付近

 

2021年の連載「私の3・11」第四部では、東日本大震災から10年の気仙地域(岩手県、宮城県沿岸県境地域)について聞いた。

連載「私の3・11」第四部はこちらから

2年前はコロナ禍で緊迫していたが、今年2月に改めて同地域を訪ねた。変貌し続ける町並みの中で、震災の記憶を伝え続ける取り組みがある。「復興」以前に人口減少が進む。そのような中、地域課題を覚えながら寄り添い続けるクリスチャンたちの姿があった。【高橋良知】

 

様々な「心の被災」あるはず 気仙沼・オリーブ代表・千葉さんと歩く

気仙沼湾をみわたせる復興祈念公園には祈りのスペース(下)や、犠牲者の銘文がある

 

 

地域の世話も使命

宮城県気仙沼市は震災で約千400人の人的被害があり、7万4千人だった人口は近年千人ずつ減少し、2022年には6万人を切った。

復興祈念公園は市内中心部東側の丘の上にあり、気仙沼湾や内陸部を見わたせる。北側内陸部の鹿折地区も津波で覆われた。現在は復興住宅や、新築した商店街、新たな店舗、再建した工場などが立ち並ぶ。「震災前は30あった商店は、いまは7軒ほど。高齢化などでやめたところもある」。同地区の人々ともつながる震災復興支援センターオリーブ代表の千葉仁胤(ひとづぐ)さんは言う。スーパーの進出やコロナ禍など、まちの変化にも左右されている。

内陸部鹿折地区には復興住宅や商店が再建

千葉さんは震災時は単立気仙沼聖書バプテスト教会牧師で、現在はオリーブで支援活動を続ける。気仙地域で15世帯ほどを定期的に訪ねている。

「桜は咲いていたと思う。でもまったく色が思い出せない」。

津波で夫をなくした、ある女性は、震災後の春を振り返ってこう語った。
仮設住宅にいたころ、集会に出るたびに震災の話をするのが嫌になり、部屋にこもりがちになった。そんな中、ある集会室から流れた賛美歌が耳に入る。集会が終わったころに顔を出し、CDを手に入れた。

上京していた娘は、結婚して仙台に住む。ときどき孫の世話を手伝うのが楽しみだ。公的なアンケート調査活動に参加するなど、近隣にも心を配る。

 

被災した人々と関わり続ける千葉さん

千葉さんは漁業会社ともつながり、ワカメを教会関係者に流通するなどで手伝う。漁業を取り巻く状況は厳しい。ある経営者は「成り手、後継者が不足している。温暖化で、今まで獲れていたサンマなどは激減。その一方、千葉県などにいたタチウオが北上してきた。獲れても、ここでは、タチウオを食べる文化がない」と話した。これからの脅威は福島原発事故の汚染水海洋排出による風評被害だ。

千葉さんは震災後、被災した様々な人たちの痛みに触れ、従来の教会の活動の在り方では対応できないことを痛感した。「教会は、クリスチャンを教会の中の活動だけに抱え込んでいなかったか。風習の違いを強調し、地域とかかわらないでいた」

ヨーロッパの教会の伝統を学ぶ中で見出したのは、「教区」という視点だった。「教会の中だけではなく、地域全体の羊たちの世話をするというあり方でした」。

オリーブでは、礼拝活動もするが、積極的に人々のところへ出ていくことを大事にしている。「震災が無かった地域でも様々な『心の被災』があるはず。その人たちの隣人となることが現代の教会の姿となるのでは」と勧める。

 

「まったく別のまち」に

リアス・アーク美術館の展示の様子

 

最後にリアス・アーク美術館を訪ねた。常設展として震災の記憶を伝える展示を13年から開設している。「記録を残しておかなければ、消えてしまう」。学芸員たちは、使命感で震災翌日には、カメラをもって出かけたという。持ち主不明の遺物も警察に問い合わせた上で収集した。

展示する被災物や写真には、それらの特性を生かした物語を添えた。「たんに客観的に資料を提示するだけでは伝わらない。見る人のチャンネルに合致する伝え方を工夫しました」。

もう一つの工夫は、「被災者」「防潮堤」「遺構」「車社会」「祈り」「表現」…といった100以上のキーワードの解説だ。「『ガレキ』ではなく『被災物』」と呼んでほしい」など、それぞれに震災の記憶や哲学、主張がある。津波の歴史にも注目し、未来に向けて「私たちは災間を生きている」というメッセージもあった。 学芸員は「気仙沼はまったく別のまちに変わってしまった。だからこそ、ここでまちの記憶に触れてほしい」と話す。

「このまちがあるから、上のまちがあるんだよ…」(『二重のまち/交代地のうた』書肆侃侃堂、2021)。

陸前高田市で震災の記録活動に取り組んだ瀬尾は「新しいまち」と「かつてのまち」の二つが同時に存在するという「二重のまち」のイメージを提示した。二つのまちは切り離されてはいない。

さらに被災地に限らず、あらゆるまちが「新しいまち」へ向かう「間のまち」であり続けることも示唆した。過去・現在・未来をつなぐまちの可能性を示すが、キリスト者ならば、さらに「はじまり」(創造)と「おわり」(再創造)のビジョンから現在を考えることが求められる。

東日本大震災で甚大な被害を受けた地域の痛みにはまだまだ心を向ける必要がある。さらに、これら被災地が経験したことは、日本全体にせまる少子高齢化を考え、諸教会が「置かれた地域の文化・風習・霊性・歴史を理解し、人々の文化や生活を重んじつつ、多様な人々の心と現実に届くことばを語る」(第七回日本伝道会議宣言文二次案ことにもつながるはずだ。

まちの「あわい」残す 陸前高田

2023年03月12日号05面掲載記事)