船越宣教師夫妻

ロシアによるウクライナ侵攻から1年が過ぎたが、情勢は混迷している。4月16日には開戦後二度目のイースターを迎える(正教会の暦)。ウクライナ・オデーサで教会形成をする船越真人・美貴宣教師夫妻が3月に一時帰国し、日本各地で状況を報告した。3月25日は、東京・立川市の立川福音自由教会で、教会の歩みや戦時下の様子を語った。【高橋良知】

16日現地でイースター

ウクライナで働きを始めたのは1998年。大宣教命令をまっすぐに受け取って、イエスの弟子を作り出す教会形成を目指してきた。子育て、家族問題から、男性たちのアルコール依存症という旧ソ連圏ならではの課題に向き合い、リハビリテーションの働きもした。スポーツ、演劇などの活動もあった。「すべて弟子を育てる働きから広がった」
と話す。

信徒リーダーの育成に努めたが、「『牧師がやってくれる』という雰囲気はまだまだあった」と振り返る。

政治的な緊張関係は以前からあったが2022年になると大使館や所属団体から国外避難勧告が出るほど危機的な状況となった。侵攻の始まった2月24日は爆発音で目が覚めた。

「教会の人々は文字通り家族。息子もウクライナで生まれた。愛する人々を残して国外に行けない。だが外国人として拘束されたら大変なことになる」。苦渋の思いで、同行できる教会員とウクライナ西部に避難した。両親の世話などで残らざるを得ない信徒もいた。「何度もUターンして戻りたいと思った」と話す。避難先でも毎日泣いた。

やがてオデーサと西部を行き来できるようになり、それぞれの場所で牧師が不在のときは、信徒リーダーたちが支えた。今までの学びがここで生かされた。

さらに避難民などへの支援活動でも信徒たちが立ち上がった。東部占領地と西部の間にあるオデーサには多くの避難民が流れてきている。教会は国内外のサポートを受けて、子どもの教育支援、ウクライナ南部の村々の支援、兵士らへの防護服や医療品の提供、精神面のサポートを始めた。それぞれの活動には「HOPE」(希望)を掲げた。「開戦当初は教会がバラバラになると思われたが、今では開戦前より一致が強められて活動できていることは大きな励ましです」と話す。

厳しい冬に、電力インフラが攻撃され、停電が続いたが、教会の発電機を用い、人々の居場所を用意した。「子どもたちには、『つらい冬だった』と思ってもらいたくなかった。実際毎日とても楽しかったのです」
教会員で戦死したものはいないが、息子の親友や支援していた兵士たちが数人亡くなった。経済は破綻し、支援を受けて何とか生計を立てている人も多い。「いつかは分からない。でも戦争は必ず終わる。トラウマを抱えた帰還兵たちをサポートする必要も出てくるだろう」と今後を見通す。

夫妻はウクライナのイースター(4月16日)までにウクライナに戻り、活動を継続していく。

最後にウクライナ・ゼレンスキー大統領の年頭挨拶を、クリスチャンの「回復と帰還」の視点で「祈りの言葉」に語り直した。兵士・捕虜・難民の帰還、ウクライナの大地・尊厳・被占領地の自由・すべて傷ついた者たち、日常の回復などを願い、「キリストの教会が希望の光で輝くことができますように/人々が本当の希望、唯一の救いであるイエス・キリストを知ることができますように/キリストに、キリストだけに栄光が、ウクライナに主の平和と祝福がありますように」と祈った。

2023年04月16日号   01面掲載記事)