ただ子を愛するがゆえの犠牲

木原 活信  同志社大学社会学部教授

「この息子は、死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかったのだから。」(ルカの福音書15・24)

私の誕生に際して、古いアルバムの寄せ書きに亡き母が以下のように記してくれていた。
「活信君 貴方が生れる前 母さんは大変だったの。先生は生むのを反対されたの。でも母さまも父さまも神様におゆだねし祈りつつ貴方を生んだのよ。死ぬはずだったのに生れたから信じて活きるという意味で活信と名づけたのです。」
実は、私が母の胎に宿った当時、母親は出産に耐えられない重たい病気を患っていた。母体安全のため医師の判断で当時出産が認められず、私は本来ならばこの世に生れるはずがなかった命であった。母体安全を優先すれば、それは当然の判断なのかもしれない。そして、担当の医師は、残念がる母親を慰めるつもりであろうが、「3人もいるからいいじゃないですか」(当時、すでに私には上の兄、姉が3人いた)と言ったという。「3人いるからいい」と言われれば言われるほど逆に母親は、このまま医師の指示に従えば失われていく自分のお腹に宿った一人の小さな胎の子が愛(いと)おしくなってきて仕方なかったという。両親は、悩み抜いた挙句(あげく)、母体の命の危険を覚悟の上、産むことを決意した。そしてそれを理解してくれる別の産婦人科捜しに奔走したという。ようやく捜し当てた医師が、自己責任が前提ではあったが、その出産に立ち合ってくれたという。この両親の命がけの決意により、私が産まれてきたのである。幸いにも両親の祈りが天に届き、母子ともに守られた。そんな劇的な誕生に感激した両親が、この子は「この息子は、死んでいたのに生き返り」「死ぬはずだったのに信じて活きた」という意味で「活信」と名付けたという。これが私の生(誕生)の物語である。

命を顧みず生んでくれた姿に重なる神の本質

母としては、「胎児の権利を守る」「堕胎禁止」等の高尚な抽象的な理念上の愛でなく、「自分のお腹に宿った瞬間から母親としてただ愛おしかった。この子のためなら自分が犠牲になってもいいと思った」という、まさにひとりの胎児へのコンパッションに揺り動かされての行為であったようである。この胎児が王室を担うプリンスでもなければ、また将来どんな人間になるかもわからない…小さな存在であったにもかかわらず。
この話を思い出すと、ルカの福音書15章の「99匹の羊」を野原に残してでも「失われた1匹の羊」を命がけで捜し歩く羊飼いの姿や放蕩(ほうとう)息子の帰りを待ちわびる父親の姿を思い起こさせる。そこにこそ福音の本質が、、、、、、、

2023年09月24日号 03面 掲載記事)