奥津氏が追悼の辞

関田氏、雨宮氏の遺影

 

毎年8月第一土曜日に、神奈川県横浜市の英連邦戦死者墓地で開催されている「英連邦戦没捕虜追悼礼拝」で、第1回からほぼ毎年追悼の辞を述べてきた関田寛雄氏(日本基督教団牧師)が昨年12月、呼びかけ人の一人の雨宮剛氏(青山学院大学名誉教授)が今年1月亡くなった。この二人が遺した「平和と和解」への思いを分かち合おうと「英連邦戦没捕虜追悼礼拝」実行委員会は10月28日、「関田寛雄牧師・雨宮剛先生追悼記念礼拝」を同所で開いた。

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当日は、毎年8月の蒸し暑さとはうって変わり、さわやかな秋晴れの下、追悼礼拝が執り行われた。戦没捕虜たちの前に関田氏、雨宮氏の写真と花が飾られ、それを囲むように参加者が集まり、追悼礼拝が行われた。

前奏、招詞、賛美、聖書朗読に続き、追悼の辞では、同実行委員会代表の奥津隆雄氏(飯能ホライズンチャペル牧師)がルカの福音書10章の「良きサマリア人のたとえ話」から「勇気と忍耐を受け継ぐ」と題して語った。「ここで強盗に襲われた人の隣人になったのは、祭司でもレビ人でもなく、サマリア人だった。イエスは『あなたも行って、同じようにしなさい』と言われた。その言葉通り実践されたのが関田、雨宮両先生だった。関田先生は、在日韓国朝鮮人の方たちへの差別のため闘われた。いつもこの世で差別され、虐げられ、無視されている方々の側に立った。雨宮先生は、難民認定されないクルド人の家族を助け、国外移住できるよう助けられた。また、フィリピンとタイの体験学習に学生たちを送り続け、貧困や戦争の傷跡を直接体験できるプログラムも行ってくださった」

「お二人は忍耐の人でもあった。関田先生は第1回から毎年、追悼礼拝に出席され、雨宮先生はこの追悼礼拝のための様々な準備を一手に引き受けてこられた。そして、次世代の私たちに引き継いでくださった。ここまで続けてこられたのは、お二人の忍耐があったからこそ。私たちも同じように歩んでまいります」と決意を述べた。

続いて聖フランシスコの「平和の祈り」を唱和。その後、大森明彦氏(日本聖公会東京教区清瀬聖母教会司祭)が関田氏、川西輝子氏(青山学院大学文学部 雨宮剛ゼミОG)が雨宮氏の思い出を語った。追悼記念礼拝の後は、納骨堂前で交流会を開催。関わりのある9人が一様に、「関田先生、雨宮先生は常に弱者の側に立って闘っていた」と、思い出を語っていた。【中田 朗】

2023年11月19日号02面掲載記事)