マイヤー氏

 

聖書の時代の人々は実際にどのように生活していたのか。目に見える考古学情報資料によってリアルに再現し、聖書に対する正しい知識を得られるようにしようと活動してきた「聖書考古学資料館(TMBA)」(津村俊夫代表理事)が創立から30周年を迎えた。その記念講演会が、TMBAが所在する東京のお茶の水クリスチャン・センターで4月8日、開かれた。

「聖書のペリシテ人:その起源と古代イスラエルとの関係」と題して、アレン・マイヤー氏(イスラエル バル・イラン大学教授、聖書のガテ遺跡[テル・ツァフィ]発掘隊長 URLgath.wordpress.com/)が語った。同氏は、ゴリアテの故郷として知られるガテの発掘に1996年から従事してきた。「考古学のすばらしいことは、骨に肉をつけるような働きであること。その知見は聖書に色彩をもたらす」と話した。

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ガテ遺跡があるテル・ツァフィはイスラエル南部にある。聖書ではペリシテ人の都市として、ガザ、アシュドデ、アシュケロン、ガテ、エクロンが挙げられる。遺跡からガテは最大の都市と見られ、主に後期青銅器時代の紀元前13世紀から鉄器時代の紀元前8世紀までの層が確認されている。

「エジプトの遺跡にもわずかに言及があるが、ペリシテ人についての知識の多くは聖書に基づく。20世紀以降の発掘成果で、ペリシテ人への知見が深まった」

ギリシア文明とのつながりを指摘した。それは土器の形態、食生活また、ギリシアの女神にかかわる植物の発掘からうかがえるという。ペリシテ人の墓地も発見され、DNA鑑定や放射性炭素年代測定などによって、ペリシテ人がエーゲ海由来であること、またカナン人とも混ざり合ってきたことが分かった。

「巨人の骨はまだ見つけていない」とゴリアテにも言及。「『ゴリアテ』という名前はセム語ではなく、インド・ヨーロッパ語族の言葉だと思われる。実際発掘物の中に、ゴリアテと音声的に似た名前があった」と言う。

紀元前8世紀には、大規模な破壊の痕跡がみつかった。これはⅡ列王記12章17節のアラム王ハザエルの攻撃の記述に合致する。「聖書では短い言及だが、遺跡には多くの家々が燃やされた跡があった。旧約聖書後半では、ガテの言及がなくなる。その後ユダヤ人がいた痕跡があるが、これはヒゼキヤ王時代ではないか。ユダヤ人が西に拡張していたことが分かっています」

紀元前604年にバビロンによってペリシテ人は滅ぼされた。「同時期にユダヤ人も捕囚された。ペリシテ人は歴史から消えるが、ユダヤ人はアイデンティティーを保ち続けた。似たような運命をたどった二つの民族だったが、末路は異なった」と語った。

質疑応答では、鉄器時代以前の創世記に言及されるペリシテ人について、埋葬文化の多様性、ユダヤ人の祭壇や食物規定との比較などについて話し合われた。

TMBAでは、粘土板文書、円筒印章、各時代の土器類、新約時代のコインなどの遺物や各種レプリカ、解説パネルを常設展示。開館日は毎週土曜日午後1時〜6時。入館無料。詳細はURLtmba-museum.jp

2024年04月28日号 01面掲載記事)