日本宣教学会の第18回全国研究発表会が、6月29日、東京・千代田区のイエズス会岐部ホールで行われた。元・東京神学大学教授のトーマス・ジョン・ヘイスティングス氏が、「キリスト教信仰は日本と相容れないのか?―『キリストが隠された』文化における宣教の課題」と題し基調講演を行った。山口陽一(東京基督教大学・大学院特任教授、国際宣教センター長)、村松晋(聖学院大学人文学部日本文化学科教授)、増田健(上智大学神学部神学科講師)、高橋勝幸(元南山宗教文化研究所非常勤研究員)の四氏が研究発表した。

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ヘイスティングス氏=上写真=は1988年から2008年まで米国長老教会宣教師として金沢など各地で奉仕した。その経験から、「既成の社会秩序を破壊しうる異質な侵入者」だった日本でのキリスト教について、受容と迫害の両面から歴史を追って語った。
日本人が時と場合で宗教を使い分けていることを「宗教と倫理上の分業」と表現。〝おめでたい日〟の神道、恋愛や社会変革を主張する時のキリスト教、人生の意味を考える時や死に直面した時の仏教、家庭・学校・職場で考え、話し、行動する時の儒教、と類型だてた。
社会的機能に基づけば、①領土と国家の宗教は神道。地域の神社、天皇制、靖国神社による地域と国家のアイデンティティーの維持。②家の宗教は仏教。仏壇と墓で家族や世代を超えた普遍的なアイデンティティーの維持。③キリスト教は個人的な選択の宗教。教会での志を同じくする人々との交流や、思想的な西洋との同一性による個人的アイデンティーの維持。①と②で構成される〝宗教的生態系〟から追放されているキリスト教が「個人を超える」ことこそ、日本宣教の課題だ、と指摘し、こう締めくくった。
「個人を超えなければ聖書は読めない。パウロは書簡で『あなたがた』、と共同体に向けて語っている。つまりキリスト・イエスにおいて神はまず『我々のため』、『我々の中に』、そして『我』へと語りかけるのだから」

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山口氏=上写真=は、「近代日本における宣教史の再考~日本人の心に福音を届ける秘訣をめぐって~」の題で、キリスト教がマイノリティーであることへの恐れやコンプレックスを克服することは宣教の糸口である、と論じた。


村松氏=上写真=は「戦時期日本のキリスト教をどう視(み)るか」の題で、キリスト教と神道の関係への注目は、政治的弁証に終始し、親族の戦死などに際した信徒の悲哀への「魂の配慮」が欠けていたのではないか、と指摘した。


増田氏=上写真=は「日本の宣教における夢とチャレンジ~アンリ・ド・リュバックの宣教論をヒントに~」の題で、カトリックの視点から、リュバックの「いのち」を中心とした宣教論の必要性を訴えた。


高橋氏=上写真=は「何故、キリスト教は日本人に親しまれないか?~キリストの道は万民に示されるものなのに~」の題で、欧州の諸言語で「中動態」が失われたことは、東西思想の対立、宗教間対話の阻害を生んだ、と考察した。
【間島献一】

2024年07月21日号 01面掲載記事)