高木氏

「戦争の時代」、特に聖書を読む私たちは、イスラエルの戦争をどう捉え、平和をどう理解するのか? 靖国神社にはどんな問題があるのか? 現地を訪れる前に共に考えよう……。そのような呼びかけで、「ヤスクニ探訪」プレ集会が9月7日、東京・渋谷区の東京恩寵教会で開催された。主催は日本キリスト改革派教会・東部中会社会問題委員会、日本長老教会・社会委員会。当日は高木実氏(長老教会・西船橋キリスト教会牧師、元KGK主事)が「〝戦争の時代〟における平和とヤスクニ」と題して発題した。
【中田 朗】

最初に、「イスラエルの戦争をどう捉えるか?」について高木氏は、こう見解を述べた。「旧約聖書での『神の民』としての『イスラエル』は、新約の時代にあってはキリストを信じる者たち、つまり『キリストのからだなる教会』となったと理解する。ゆえに今のイスラエル国家を、聖書に基づいた宗教的観点から支持し、ガザ地区でなされている軍事行動を正当化し支持するということにはならない。戦争の当事者になると自国の側面からしかものが見えなくなってしまうが、当事者でない時にこそしっかり物事の本質を捉えることができるよう心掛けておきたい。この世界情勢の現実にあって、『平和があるように』との願いを込め、祈りを重ねていく決意をしたい」

また、日本キリスト改革派教会が昨年の大会で採択した「平和の福音に生きる教会の宣言(平和宣言)」、日本長老教会が1995年の大会で採択した「戦争に関する公式見解」から、ウエストミンスター信仰告白第23章第2節の「合法的に戦争を行うこともありうる」の現代的意味について言及。「キリスト教の歴史における『正しい戦争』『合法的戦争』も、本来、戦争を抑止し正義と平和を維持するための最終手段として容認されたものであり(中略)、大量殺戮(さつりく)兵器を用いる現代の戦争を肯定することはできない」(平和宣言)、「幾重にも限定される状況でのみ、『合法的戦争』が積極的にではなく消極的に許容されているに過ぎない。戦争の美化や安易な容認ではなく、あくまでも戦争の現実を直視する視点である」(公式見解)などの言葉を引用し、ウエストミンスター信仰告白が日本国憲法の唱える平和主義を否定するものではないと強調。「戦争を平和の手段として選び取ることも場合によってはありうると認める信仰告白を持つ我々も、歴史的経緯からすれば『あり得はするがあえて選び取らない』という選択の道が、常に開かれていることを明確に意識することが重要だ」

「日本の周辺近隣での有事が起これば、今や自衛隊の関与が必要とされる。そこで犠牲者が出れば、国のために戦い死ぬことに意味を与える靖国神社の存在がクローズアップされるだろう」と、靖国神社問題にも触れた。高木氏の発題後、レスポンス、分団(グループディスカッション)、質疑応答の時を持った。10月5日には、星出卓也氏(長老教会・西武柳沢キリスト教会牧師)のガイドで「第22回ヤスクニ探訪」が行われる。

2024年09月29日号 01面掲載記事)