《神学》福音主義の定義 「ローザンヌ誓約」多様性の一致
分断の時代――人々を二分するような対立が、世界各地で深刻化している。和解と一致を説くキリスト教も、例外ではない。そうしたなか、昨年50周年を迎え第4回世界宣教会議を韓国で開いたローザンヌ運動の原点「ローザンヌ誓約」の意義を見直すべきだと、本紙提携の米福音派誌クリスチャニティ・トゥデイ(2024年7月掲載記事)が〝福音派〟の再考を促した。
分断の時代に再発見する神学的記念碑
福音派はかつてないほど分裂し、以前は友人であった敵と戦っている。しかし、私たちが自分たちの歴史を思い出すために立ち止まったらどうなるだろう? 私たちが誰であり、どのようにしてここに至ったかを思い起こすだけでなく、福音主義に過去にあったもの、現在あるもの、そして再びあり得る最高のものを再発見するかもしれない。
今日の最大の問題のひとつは、福音主義という言葉が何を意味するのかについて、ほとんどコンセンサスが得られていないことである。もし世界中の福音派が福音主義の基本的なパラメーターについて合意することができたら、それは健全な多様性を促進し、教義の完全性を保証するのに十分実質的なものである。
1974年7月、アメリカの伝道者ビリー・グラハムとイギリスの神学者ジョン・ストットの要請により、150か国から約2,700人のキリスト教指導者がスイスのローザンヌに集まった。ローザンヌ大会として知られるこの会議を、タイム誌は当時、「おそらくこれまでに開催された中で最も広範囲に及ぶクリスチャンの会議」と報じた。
この会議でのおそらく最も重要かつ永続的な成果は、ローザンヌ誓約である。その目的は、ある重要な問いに答えることだった――世界宣教の任務において共に協力するためには、私たちはどれだけ互いに同意しなければならないのか?
ローザンヌ誓約に署名するジョン・ストット(左)とビリー・グラハム
論争と分裂のなかで誓約が示した別の道
当時、現在と同様、福音主義は原理主義者と近代主義者の論争の影響を感じており、ほとんどすべての主要なキリスト教団体や教派で醜い分裂を引き起こしていた。違いに対する原理主義者のアプローチは、厳格なリトマス試験紙のように教義の厳格さを伴うものだった。進歩的な考え方は教義上の境界線を設定することを避け、歴史的なキリスト教から実質的に逸脱する危険を冒していた。
だが福音派は別のアプローチをとった。ローザンヌで例示された多様性に対する福音派のアプローチは、①歴史的キリスト教の共通の告白に基づいた、違いを超えた一致の慎重な交渉、②多様性そのものを本質的な善として、すべての信者の世界的な普遍的教会に対する神の意図された計画の表現の証拠として祝福すること、の両方である。
ローザンヌ誓約は、福音主義を神学的に定義し、この運動に関連する社会政治的要素を意図的に避けた。また神学、教義、実践に関連する多くの重要でありながら副次的な問題についても、立場を明確にしなかった。例えばバプテスマ、聖職における男女の役割、地球の年齢や進化論など。
不一致の両側を参加させた誓約の共同体
ローザンヌ誓約は、この種の問題から距離を置くことで、分裂していたかもしれない不一致な両側のクリスチャンを参加させたのだ。大会の指導者たちは、相違を超えて「全教会が全福音を全世界に伝える」という共通の使命のために、誓約の共同体を作ろうとした。
この誓約書は15の条文、序文、結論からなる。
3,100語強のこの文書について起草委員長であったストットは、その解説の中で各条項の背後にある理由を説明している。
この文書を単なる信条表明と見るのは間違いである。なぜなら、この文書は契約として意図されたものであり、署名者に共通の目的とパートナーシップを約束する「拘束力のある契約」だからである、とストットは書いている。10日間にわたる討論、議論、交渉の末、出席者のほとんど(2,300人)がこの文書に署名した。ストットが説明したように、「私たちは、ただ何かを宣言するのではなく、何かをすること、つまり、世界福音化という課題に取り組むことを約束したかった」。
ローザンヌ誓約は、私たちの違いを神学的に説明するものであり、その根底にあるのは、これらの違いは本質的に価値があるという信念だ。指導者たちは、縮小された一致の共同体では満足せず、相違を超えた拡大的な共同体を求めたのだ。
この誓約は、ストットが「エペソ3・10の直訳」と呼ぶものを用いて、聖書に対する私たちの異なる見解は、神の知恵が私たちに開示されるメカニズムだ、と説明している。
違いを認め合う福音主義の招き
キリストと聖書における神の啓示は不変であり、聖書を通して聖霊は今日も語っておられる、、、、、
(2025年01月26日号 06面掲載記事)