映画「黒衣の刺客」--なぜ人は殺し合うのか
中国の古風な風景画や宮廷絵巻が一葉一葉操られていくような審美的な映像に息をのむ。女刺客が元許婚(いいなずけ)の暴君を暗殺できるか。そのシンプルな顛末が、刺客らしく声も出さず舞うような殺陣で展開する。武侠映画というには、人間の内面に重点をあてた幽玄な美しい世界へと誘われる。
8世紀後半、唐の時代。朝廷が外敵からの防衛のため設置した藩鎮。だが、力を蓄えた藩鎮は朝廷からの離反が始まっていた。中でも最強の藩鎮の長(節度使)・田委安=ティエン・ジィアン=(チャン・チェン)は暴君として知られている。
藩鎮の重鎮・聶鋒=ニエ・フォン=(ニー・ダーホン)の娘・隱娘=ニエ・インシャン=(スー・チー)が13年ぶりに帰ってきた。田委安の許婚だったが、田家は政略結婚のため元家から瑚姫=フージィ=(シェ・シンイン)を妻に迎えたため破談された隱娘。委安の養母・嘉誠=ジャーチャン=公主(シュー・ファンイー)の双子の姉である女道士・嘉信=ジャーシン=(シュー・ファンイー)に預けられていた。
隱娘が帰ったことを喜ぶ聶家の人々。だが隱娘は、凄腕の刺客に育て上げられ、嘉信から委安の暗殺を命じられていた。隱娘は、帰宅した夜、委安の館に忍び込んだ。
冒頭、8分間ほどモノトーンで流される刺客として命じられるままに使命を果たしてきた隱娘の“仕事”ぶり。現在の隱娘とって、委安は容易に勝てる相手だがとどめを撃つことができずに悩む。かつての許婚というだけではなく、自分は人を殺(あや)めなければならないのか。そうした優しさがはいりこむ隙を持つものには危機が訪れる。
その危機を救った一人が、遣唐使として来たが帰船が難破し鏡磨きをしながら新羅を目指して旅する日本人青年(妻夫木聡)。剣が強いわけではない。ただ鏡を磨いている姿に、村の子どもたちは近寄ってきて、磨かれている鏡を見ながら笑顔になる。寝入れば、遠く日本にいる妻(忽那汐里)を思い出す。傷の手当てを受けた隱娘は、その青年には構えず、自然にふるまえる。人の心を生かすのは、力ではないことを感じさせてくれる。 【遠山清一】
監督:ホウ・シャオシェン 2015年/台湾=中国=香港=フランス/中国語/108分/映倫:G/原題:刺客聶隠娘 英題:The Assassin 配給:松竹メディア事業部 2015年9月12日(土)より新宿ピカデリーほか全国順次公開。
公式サイト http://kokui-movie.com
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*AWARD* 2015年第68回カンヌ国際映画祭監督賞受賞作品