テオ(右)の動物の鳴き真似は子どもたちに大うけ。フレッドは余興での収入で思い出の地マッターホルンに行くことを思いつく (c)2013, The Netherlands. Column Film B.V. All rights reserved.
テオ(右)の動物の鳴き真似は子どもたちに大うけ。フレッドは余興での収入で思い出の地マッターホルンに行くことを思いつく (c)2013, The Netherlands. Column Film B.V. All rights reserved.

物語の語り始め、独り暮らしするフレッドの身の上に、ふと旧約聖書に登場するヨブの言葉が想い起された。ヨブは遥か昔、遊牧の民を率いる大富豪で7人の息子と3人の娘たちにも恵まれていた。ところが悲惨な出来事が続き、10人の子どもたちと財産すべてを失い悲嘆の底にあったが、「私は裸で母の胎から出て来た。また、裸で私はかしこに帰ろう。主は与え、主は取られる。主の御名はほむべきかな。」と語り、神への信頼を失わなかった。フレッドは、妻と幼い愛息が写っている写真を見つめながら、毎日決まった時間に食事を摂る。そして、毎週欠かさない日曜日の礼拝。だが、彼の表情から充足した生活は読み取れない。フレッドもまた、自ら“正しさ”を守り続けることで、神からの応答を求め待ち続けているかのようだ。

【あらすじ】
田園風景が残るオランダの片田舎の村。教会のすぐ前にある一軒家に独りで暮らしているフレッド(トン・カス)。毎日、決まった時間に食事を作り、決まった時間きっかりに食事を摂る。愉しみといえば、こだわりのコーヒーとバッハの音楽、そして毎週日曜日の礼拝は欠かさず、持っているレコードはバッハの楽曲だけ。息子ヨハンが8歳の時に歌ったマタイ受難曲のアリア「憐みたまえ、我が神よ」の録音テープもよく聴く。いつものメニューを作り、いつも6時きっかりに祈り、妻と幼いヨハンの写真を見て夕食を摂る毎日。

土曜日。窓から外を見ると、斜め向かいの庭先で教会の長老カンプス(ポーギー・フランセン)が、昨日無一文というのでお金を貸した男と立ち話をしている。寸借詐欺と判断したフレッドは、その男(ルネ・ファント・ホフ)に自宅の庭の草むしりを命じた。ほとんどしゃべらず、「はい」と返事するだけで、黙々と丁寧に仕事をこなす。夕食もフォークの使い方も分からず、手づかみで食べる男。フレッドは、行く当てのない男を2階のヨハンの部屋に泊める。翌朝、フレッドは、男に自分の服を着せて礼拝に連れて行くが牧師と握手する挨拶さえ知らない様子。

ある日、男を連れて町のスーパーに買い物に行くと、途中、男は山羊を見つけると駆け寄り鳴き真似を始めた。買い物をしているときも「メエー」と鳴き続け、家族連れの女の子に気に入られた。フレッドは、父親から土曜日の子どもの誕生パーティで余興をしてほしいと頼まれ50ユーロで引き受ける。子ども向けの歌と動物の鳴き真似でストーリーを作り、練習してパーティに臨むと子どもたちにも受けて、評判が広がりフレッドに依頼が来るようになった。フレッドは、給って来たお金で妻にプロポーズした思い出の地マッターホルンへ、男を連れて旅することを思い立ち旅行代理店でパンフレットも入手した。

 (c)2013, The Netherlands. Column Film B.V. All rights reserved.
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奇異な行動が目立つ男が、亡くなった妻の服を着て向かいの広場で子どもたちにはやし立てられている。すぐ止めに行ったフレッドだが、年長の子に「ホモ野郎」とけなされ、思わず逆上し押し倒してしまう。その時、止めに入ったカンプスが、夜に牧師とカンプスが訪ねてきた。フレッドと男と共同生活が、村の噂になっている。男をどこか施設へ預けるべきだという。フレッドには、誕生パーティなどで余興をすることも、男との同居も、大切な“生活”になっていた。教会での礼拝を守り、誰にも迷惑をかけず暮らしてきたフレドッだが、初めて日曜日の余興の依頼を引き受け、男の住所変更を届けるため市役所へ行く。その時、男の名前がテオであり、住所も近くの町であることを知ったフレッドは、テオを連れてその住所を訪ねる。

【見どころ・エピソード】
オランダの田園風景、レンガ造りの町のたたずまいは、一幅の絵画を見るような美しさ。長老改革派教会の礼拝シーンは、ヘンリ・ヴァン・ダイクの作詩にジョン・ザンデル作曲の“BEECHR”(日本では讃美歌367番「たくみのわざをば」)が歌われ日本人にも馴染み深く印象的。フレッドがテオとのコミュニケーションにサッカーボールでパスを始めると、「今日は主の日だ」とたしなめるカンプス。日曜日は、神を想う聖なる日として過ごす伝統を垣間見せる。そのような信仰生活の厳格さは、記憶も言葉も喪失したテオとの同居によって自分の心の奥底に押し隠していた事実を浮き上がらせ、村人たちとの軋轢を生じさせる。宗教批判になりがちなストーリー展開だが、型にはまった批判を避けて、人間の心の孤独さ、秘めておきたい弱さを見つめる描写に好感が持てる。

「天使の声」と評された息子が8歳の時に歌ったアリア「憐みたまえ、我が神よ」や管弦楽組曲第2番の 「バディヌリー」、平均律クラヴィーア曲集1巻第1番などバッハの楽曲こそ音楽そのものと言いたげなフレッドの生活描写。とりわけ「憐みたまえ、我が神よ」と町のライブバーで歌われるポピュラー曲「This is my life」の使い方は、あまりに感動的な演出で心憎い。 【遠山清一】

監督・脚本:ディーデリク・エビンゲ 2013年/オランダ/オランダ語/86分/映倫:G/原題:Matterhorn 配給:アルバトロス・フィルム 2016年4月9日(土)より新宿シネマカリテほか全国順次ロードショー。
公式サイト http://kodokunosusume.com
Facebook https://www.facebook.com/孤独のススメ-1051714254890699/

*Award* 2013年:ロッテルダム国際映画祭観客賞受賞。モスクワ国際映画祭最優秀観客賞・評論家賞受賞 2014年:SKIPシティ国際Dシネマ映画祭最優秀作品賞受賞(上映時タイトル「約束のマッターホルン」)。 2015年:ナポリ映画祭最優秀作品賞受賞ほか多数。