イギル・ボラ監督
18歳で高校を中退し、東南アジアを旅しながら自身の旅の過程を描いた映画「Road-Schooler」(2009年)を制作。2009年に韓国国立芸術大学に入学し、ドキュメンタリーの製作を学ぶ。本作は、2014年に第16回ソウル国際女性映画祭オンナン文化賞を受賞。日本では、山形国際ドキュメンタリー映画祭2015アジア千波万波部門で特別賞を受賞している。

耳が聞こえない親を持つ健聴者の人は、Children Of Deaf Adultsの頭文字を取って“CODA”(コーダ)と呼ばれる。6月10日から東京のポレポレ東中野ほかで全国順次公開される映画「きらめく拍手の音」(バリアフリー字幕版上映)は、コーダのイギル・ボラ監督と弟のグァンヒがろう者の両親(父・サングク、母・ギョンヒ)を中心にろう者とコーダーの家族の歩みと日々の暮らしを撮ったドキュメンタリー作品。まったく音が聞こえない世界に生きる両親の耳となり、幼い時から手話通訳をフォローするのが当然のように聞こえる世界を生きる姉弟。並行する二つの文化を結んできたコーダの視線をとおして描いたイギル・ボラ監督に話を聞いた。

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きらめく拍手が音の
ない世界へ豊かに響く

――ろう者の両親が、夜泣きする声も聞こえず子育てする苦労や、子どもが小学生のころから夜店を出して代金と釣銭の受け渡しなどを手伝う様子が身近に伝わってきました。だが、苦労話の重苦しさはなく、いつも前向きで輝いているご両親の姿にむしろ励まされました。両親を映画にしようと思った動機はなんですか。

ボラ監督 映画のワークショップに参加したとき自分のアイデンティティに関する作品を撮りました。その時両親のインタビューも撮ったのですが、作品を見たクラスの人たちから面白いと評価してくれる声を受けました。私は家族の一員なので、自分の家族を客観的に観るのは難しいのですが、カメラを通してみつめたとき「これは一つの物語になるかもしれない」という確信のようなものが湧いてきました。

――作品が完成してあらためて感じたご両親の魅力なんですか。また、弟のグァンヒは両親がろう者であるためいじめを受けていたエピソードがありますけどボラ監督はいじめられなかった?

ボラ監督 両親は二人ともキャラクターが濃いですね(笑)。ろう者のコミュニケーションは、口話が出来ないため手話と表情で語り合います。それは、見ているだけでも面白いなと思います(笑)。映画ご覧になった方々が、「そうかぁ、こんな風に電気をつけたりするんだ、聞こえないときにはあんな所作で知らせるんだ」とか、ろう者の暮らしを発見してもらえたらと思います。ええ、私はいじめに遭った経験はないんです。弟はシャイな性格なのでいじめられたのかなぁ。

イ・サングクとキル・ギュンヒ夫妻はカラオケが大好きという

――ボラ監督は、全寮制の高校へ進学し、中退して東南アジアへ旅に出かけて早く独立した生活をしますが、なぜですか。

ボラ監督 あのときは、完全に親元を離れるという気持ではなかったんです。最初に家を出たのは高校を中退したときでしたが、そのときの状況は、私に必要なのは、旅に出ることだと思っていました。当時の私は将来、NGOの活動か映画を撮る仕事に進みたいと考えていたので、もっと広い社会が観たいという気持ちが強かったです。

――そのような社会的な活動とかドキュメンタリーの世界に関心があったというのは、両親との関係によって培われてきたものと思うますか。

ボラ監督 私は子どものころから手話と音声言語、両方の言語と生活文化を行き交いながら通訳してきました。常に二つの文化に触れていたので、自然に異なる文化に好奇心が強かったです。ですから、東南アジアで起こっている紛争とか社会問題やNGO活動などのドキュメンタリー映画などに関心を持っていました。

――最終のシーンでまったく耳の聞こえないお母さんが、カラオケ店でのシーンですごく盛り上がって大声で歌っていますね。なんで歌えたのかなぁと不思議でした。耳の聞こえない人のために曲の音程とか強弱とかがわかるようなシステムでも付いているのでしょうか?

ボラ監督 いいえ、そういうものはついていませんよ。彼女の歌は音程も全部外れてますね(笑い)。ただ、表示される歌詞をそのまま読んでいたんですよ。ですから音程が全部外れていますし、リズムも合っていませんよ(笑い)。弟はなぜか手話で歌っていましたし、父がすごく盛り上がっていましたよね(笑い)

――確かに音楽は外れていましたが、でも頭の中でどんな音楽が流れているのかなぁと思っていました。お母さんが歌っている感覚はボラさんもわからない世界なのでしょうか?

ボラ監督 たぶん母は、音程を合わせようということ自体考えていないし、そもそも音程とは何なのかよいう概念もわかっていないと思います。声には大きい声、小さい声があるということも知らないでしょうし、発声の仕方も知らないのです。ですから、母はあのようにカラオケで歌った後は「とてものどが痛くてたまらない」と言っています。
作品のなかで私の叔父の娘がパソコンで「あー」って声を出すシーンがありますが、あの子も少し聴覚に障害がありますので、自分が出している声の大きさがわかっていません。そのため、あの子はよく叫ぶために「うるさいから静かにして」といわれますが、そいう子に「静かにしてください」ということ自体がおかしいですよね。それは、聴者中心の考えだと思います。すごくアイロニーでしたね。

 ――ご両親の出会いは、教会の感謝祭のイベントでしたし、結婚式は教会で挙式したエピソードも登場しますね。

ボラ監督 はい。韓国の教会ではろう者の方々がよく集まりますし、ろう者のための集会もよく行われています。

――日本の教会もろう者の方々の礼拝や集会がオープンに行なわれています。この作品が、多くの教会でも上映されてをろう者やコーダーの方たちの生活文化が広く知られるようになるといいですね。

ボラ監督 はい。そうなればうれしいです。韓国では、観てくださったろう者の方たちから「この作品はコーダーが作った作品だ」、「私たちろう者が社会で生きている姿を矮小化せずにありのままに見せてくれてありがとう」と言ってくださり喜んで、歓迎してくださいました。私は、まさにそういったレスポンスの映画を作りたいと思っていました。私も観た方たちから「障害者の人たちはかわいそうだ」とか、障害者の人たちを対象にして、そういうかわいそうな人たちがいるのだから「私たちは頑張ろう」と思われるような映画は、もうこれ以上作りたくないと思っていました。

――ありがとうございました。 【遠山清一】

映画【きらめく拍手の音】 脚本・監督:イギル・ボラ 2014年/韓国/韓国語[日本語バリアフリー字幕]/80分/原題:Glittering Hands 配給:ノンデライコ 2017年6月10日(土)よりポレポレ東中野ほか全国順次公開。
(本作は、ろう者や難聴者の方にも音楽や環境音の説明、言葉を発している人や映像に出ていない質問者などの話者氏名などを翻訳字幕に追加して表記する「バリアフリー字幕」版にて上映)
公式サイト http://kirameku-hakusyu.com