2017年5月28日号

聖書信仰の確立

終わりなき宿題 激動の世界で真価問われる 〝信仰と生活の唯一の規範〟として

「聖書信仰の確立」は創刊時の標語の冒頭に掲げたように、クリスチャン新聞を創刊した動機の中でも中核を占める意識だったといえる。
敗戦後、日本の復興を霊的・精神的な面で救おうと欧米から多数の宣教師が来日した。その多くは「聖書は誤りなき神のことば」と単純に信じる保守的な聖書観を持つ、いわゆる「福音派」の立場をとっていた。その一方で、主流派の中には、福音書に書かれているイエスの言葉の一部を後代の教会の信仰を反映した加筆と考え、「歴史のイエス」と「信仰のキリスト」を分けて捉えるような高等批評による聖書観が浸透してきていた。
福音派のリーダーたちはそうした実情を憂慮し、1959年に日本プロテスタント宣教100周年を祝うにあたり、主流派の記念式典とは別に「日本宣教百周年記念聖書信仰運動大会」を開催した。それを契機に翌60年、志を同じくする人々を糾合して日本プロテスタント聖書信仰同盟(JPC)が結成される。

聖書信仰運動が
もたらした余波
JPCは聖書信仰の重要性について、セミナーや出版、機関紙などを通じて啓発活動を展開した。その中で、口語訳聖書の翻訳がイエス・キリストの神性を曖昧にしているとの危機感から、聖書翻訳特別委員会が設けられ、原典に忠実な別の翻訳の必要が訴えられた。この動きが新改訳聖書(新約1965年、旧新約1970年発刊)の刊行につながった。
クリスチャン新聞は、こうした時代の空気に呼応するかたちで、当時の主流派を中心としたキリスト新聞とは別に「聖書信仰・福音主義に立つニュースメディアが必要」との機運が高まり、いのちのことば社発行の定期刊行物として1967年に創刊された。
「福音派」の大連合
5月発行の最初の紙面を見ると、同年10月のビリー・グラハム国際大会に向け協力体制が拡大しているというトップ記事に福音宣教への強い熱意がにじむとともに、日本福音連盟(JEF)とJPC、福音主義に立つ宣教師2団体(後に日本福音宣教師団=JEMA=に統合)の4者が福音派諸団体の大連合を目指して会談をした記事が載っている。この動きから、68年に日本の聖書信仰・福音派を代表する機関として日本福音同盟(JEA)が創立された。そして70年には、福音主義信仰に立つ牧師・神学者らによって、日本福音主義神学会が創立される。20110413115116342 2-1
後にJEAは、日本の聖書信仰・福音主義に立つ諸教会を代表する機関として、よりふさわしい形を求めて、86年に再編・再創立されることになる。そして世界福音同盟(当時WEF、後にWEA)、アジア福音同盟(EFA、後にAEA)に加盟し、世界の福音派との交流を深めるとともに、飢餓や貧困、差別、迫害など、世界の社会と教会が抱えている諸課題に関わっていくことになる。
クリスチャン新聞は、こうした各時代の「福音派」の大きな転換・飛躍と、それに伴う多様なテーマに焦点を当て、伝えてきた。

包括的福音理解で
社会の事象に対峙
この「聖書信仰の確立」という意識は、ただ神学的・聖書学的な面だけにとどまらなかった。創刊時の1960年代後半から70年代にかけては、盛んに靖国神社国家護持法案が国会に提出されるなど、戦前の国家神道体制に戻そうとする復古的な動きが活発化する。紙面はそれを大きな危機感をもって伝えている。そこには、そのような日本社会の問題が信教の自由の危機、聖書信仰の危機としても捉えられている。
靖国神社や伊勢神宮の復権にまつわる記事などに関連して、それが単に社会・政治の課題というだけでなく、日本人の精神性ひいては日本人クリスチャンにも根深く存在する「内なる天皇制」の課題であるという、より本質的な問題意識もかなり早い時期から表明されている。これは後に、90年代から2000年代に深刻化する教育現場の「日の丸・君が代」強制や、「国旗国歌法」制定などの動向を重く扱う問題意識にもつながっていく。
「キリスト者の社会的責任」を福音的な信仰理解の中に明確に位置づけたローザンヌ誓約が、包括的福音(ホーリスティック・ゴスペル)という福音理解をもって世界の教会と福音宣教に大きなインパクトを与えるのは74年の第1回ローザンヌ世界宣教会議においてである。だがそれと相前後して、日本でも40年以上前から、社会の危機的な事象の中で苦闘してきた教会とキリスト者は、「聖書信仰」「福音信仰」を、ホーリスティックな視野で捉えてきたことがうかがえる。
それは信教の自由に関連する事柄だけではない。ベトナム戦争や70年日米安保を機に大学紛争が激化し、やがて連合赤軍事件のような左翼運動の過激化といった騒然とした社会の中で、あるいは高度経済成長に伴う拝金主義、物質万能主義など様々な世相や社会現象の中で、記者たちは出来事の現場から聖書に基づく価値観や人生観を問いかけていく。

激動の世界と関わる
和解と平和の福音
そのようなクリスチャン新聞の紙面は、当然、日本の「福音派」の問題意識や空気と呼応している。第1回ローザンヌ世界宣教会議と同じ74年、ローザンヌ会議に先立ってその中心人物であるジョン・ストット氏を主講師に迎え、JEAの主催により京都で日本伝道会議が開催された。同会議は、宣教の課題や達成を目指す具体的な方策や戦略などと並んで、信教の自由など社会との関わりにも目を向けた。宣教の課題とともに社会のあり方、福音の理解を包括的に論ずる傾向は、82年の第2回(京都)、91年の第3回(塩原)、2000年の第4回(沖縄)、09年の第5回(札幌)、そして16年の第6回(神戸)と回を重ねるにつれて深められ、掘り下げられてきた。
途中80年代には、「聖書は誤りなき神のことば」というその「誤りない」とは何を意味するのか、その理解の範囲やあるべき姿をめぐって「無誤性論争」が盛んに展開され、その結果、一口に「聖書信仰」といっても多様な捉え方があることが浮き彫りとなった。
その間に世界は、ベトナム戦争や湾岸戦争、イラク戦争、パレスチナ紛争など各地で絶えない戦争や地域紛争、共産圏の崩壊、南アフリカのアパルトヘイト廃止、イスラム原理主義の増大と迫害やテロの激化など、激動の渦にもまれた。その中にあって、それぞれの地域の教会とキリスト者は、聖書の福音をもってそのただ中で「世」と関わってきた。
中には南アやルワンダの福音派のように、その福音理解の歪みによって社会の差別体制や虐殺にまで加担してしまった例もあれば、和解のために協同するパレスチナ・イスラエルのキリスト者、民族紛争のただ中でイスラム教徒の難民を支援した旧ユーゴスラビアの福音派など、「和解の福音」「平和の福音」を生きようと奮闘してきた地の塩の証しもある。クリスチャン新聞の紙面は、そうした激動する世界と聖書の福音の関わりをつぶさに捉えてきた。
「聖書信仰」は書斎の机の上ではなく、「実際生活の指針」や「宣教のビジョン」とも関わり合いながら、世界のただ中でその真価を問われてきたのである。「聖書は誤りなき神のことば」と信じる聖書信仰は、同時にそれを「信仰と生活の唯一の規範」として生きるものだからだ。
「聖書信仰」とは何か|それは「福音の再発見」「ニューパースペクティブ」など様々な時代の問題提起によって、今なお吟味されつつ問われ続けているテーマである。「聖書信仰の確立」は終わりのない宿題なのだろう。【根田祥一】

宣教のビジョン

時代を反映 大挙伝道から多様な宣教へ 世界の転換に伴う変化も映して

 教会協力による伝道

「教会宣教に新時代 総決心者一万五千余 グラハム国際大会勝利のうちに終わる 宣教の戦いはこれから」
1967年10月、東京で開催されたビリー・グラハム国際大会の様子を伝えた本紙11月5日号1面の見出しだ。会場となった後楽園球場の写真説明には、「大会最終日は嵐のあとの快晴。スタジアムに集まった大会衆は、新たな歓喜にひたり、神の栄光をそこにみた」との文字が躍る。日本宣教に対する当時のクリスチャンたちの高揚感が伝わってくる。
創刊時の標語の一つ、「宣教のビジョン」を語る上でまず挙げられるのが、ビリー・グラハム国際大会をはじめとする大挙伝道だろう。
創刊の年、本紙は準備段階からビリー・グラハム国際大会を毎号のように報道している。しかも大会が、財政面でも伝道計画でも日本側の立案と実行にゆだねられた、日本人自体の責任で行われる超教派運動だという点を強調する。
ビリー・グラハム国際大会は1980年、1994年にも開催されたが、「収穫の時代は始まった」(80年11月2日号)、「単純な福音 2千人を決心へ」との見出しで、どちらも1面で大きく取り扱っている。息子のフランクリン氏の時代では、2年前の2015年11月に東京・千代田区の武道館で開かれた「セレブレーション・オブ・ラブ」が記憶に新しい。この時は開催期間中、集会の様子を号外を配って伝えた。
このように「教派を超え、教会同士が互いに協力し合って行う大挙伝道」について、その都度報じてきた。
大衆伝道者の本田弘慈氏、ラジオ牧師の羽鳥明氏は、日本全国津々浦々を回り、総動員伝道というプログラムを行って来た。「イエス・キリストを伝えるために一緒にやりましょう」と、伝道という一点で、地域教会レベルで教派を超え協力し、伝道集会を行うというもので、信仰決心者だけでなく、地方の教会が互いに知り合い協力関係を結ぶという実を生んでいることを報じている。
太平洋放送協会(PBA)を中心とした放送伝道も、地域教会が協力していく上で大きな役割を果たした。PBAは各地の教会に呼びかけ、協力会を作っていったため、協力会のある地域は、テレビ伝道、ラジオ伝道の協力関係がある。新聞過去記事
90年代には全日本リバイバル・甲子園ミッション(93年)、日本武道館で10日間行われた東京リバイバルミッションなどが、紙面を飾っている。
2000年代には、ハ・ヨンジョ氏の日本宣教のビジョンで07年に始まった、韓国オンヌリ教会と地域教会との協力で行う伝道イベント「ラブ・ソナタ」を報じてきた。韓流という文化を用いた伝道イベントで、従来になかったスタイルだ。このラブ・ソナタは10年経った今も各地で続く。こちらも本田氏の日本縦断クルセードと同様、地域教会の協力関係という実を結んでいる。本紙は立ち上げ当初から紙面で紹介してきている。

リバイバルを伝える

もう一つの視点は、リバイバル(信仰復興)だ。クリスチャン新聞は創刊当時から、国内だけでなく海外にも目を向け、報道してきた。特に当時の編集部と韓国教会との深い関わりの中で、その状況が詳細に伝えられている。
1974年9月1日号は、8月に韓国ソウルで開催された「エクスプロ74」の記事が「アジアにキリストの季節到来」「史上最大!! 民族福音化に慟哭の祈り」の見出しで1面を飾る。参加者のべ650万人、世界84か国、日本からも千人が参加した集会の模様を、写真と記事で紹介し。戦後、儒教文化圏でキリスト教が急成長し、社会現象としても注目に値する隣国の韓国のことを当時、いちばん詳しく書いていたのがクリスチャン新聞だった。
71年6月20日号では、元ヒッピーの若者たちが次々に回心しているという、米カリフォルニア州で起こったジーザス・ムーブメントの様子を1面で伝える。
中国地下教会の情報もいち早く報道した。当時の守部喜雅編集長は、72年の日中国交正常化後、すぐに上海に行った。そこで、中国は文化大革命でキリスト教が壊滅状態と言われていたが、実はクリスチャンたちが家の教会でひそかに集会を持ち、口伝えに福音が広がり、クリスチャンが増えつつあるというニュースをつかむ。まだどこも情報をつかんでいない時代に、クリスチャン新聞は中国のリバイバルについて記事を書いていた。
80年6月15日号では、23年間の獄中生活から解放されたばかりの王明道牧師、83年4月24日号では家の教会指導者のママ・クワング夫人のインタビュー記事を1面で紹介している。エクスプロ
そのほか、旧共産圏(旧ソ連、東ヨーロッパ諸国)の地下教会や迫害のニュースなども、重視してきた。89年ベルリンの壁が崩壊し旧共産圏が開かれた後は、東欧の宣教事情に関する記事をフォロー。90年3月4日号では「聖書が足りない。東欧の教会に聖書を」と呼びかけている。

時代のムーブメント
多様な宣教方策反映

時代のムーブメントも反映してきた。70〜80年代は、宣教学者のドナルド・マクギャブラン氏、フラー神学校教授のピーター・ワグナー氏らが提唱した教会成長論が注目を集めた。79年に日本教会成長研究所(JCGI)が設立されると、欧米から著名な講師を呼び、研修会が盛んに行われた。ノーマン・V・ピール氏が提唱した積極的可能性思考も注目を集めた。
80年代〜90年代以降、聖霊の働きを強調するカリスマ運動や第三の波運動が、世界各地でリバイバル的な急成長を見せた。日本にもその流れの著名な講師らが韓国、ラテンアメリカ、北米、アジア、アフリカから頻繁に来日する。本紙は、それら集会の様子を客観的に報じるだけでなく、福音派からの批判に対する講師の見解や、運動から感化を受けた人の信仰生活が実際にどう変化したかなども伝えた。
また90年代に入ると、欧米からアジア、アフリカなどへ宣教師を派遣する形が、被宣教国が宣教国へ変わることで、世界中の教会が宣教師を送り合う形へとパラダイム変換した。それに伴う様々な変化も伝えている。
2000年には、インターナショナルVIPクラブ(市村和夫代表)が各地に広がり、ビジネスマン伝道が注目を集めた。本紙はその動きを報道するだけでなく、02年からクリスチャンビジネスマンの仕事と信仰の証しを紹介するコーナーを設けた。このコーナーは15年たった今も続いている。
02年には、スポーツ伝道が注目を集めた。この年、日韓共催でワールドカップが開催され、日本でも韓国でも、スポーツを用いた伝道が展開された。これを機に、各教会でスポーツ伝道が広がっていったが、その様子を紙面で伝えている。
そのほか、弟子訓練やスモールグループ、MEBIGといった教会学校活性化プログラム、アートを使って福音を伝える「バイブル・アンド・アート・ミニストリーズ」など、枚挙にいとまがない。これからも時代を反映した宣教報道は続くだろう。 【中田 朗】

実際生活の指針

メディア環境を変えながら 多様な生き方、ステージへ対応

50th 生活

初期の紙面では、生活、家庭、子育て、エッセイ、自伝、キリスト教入門、読者投稿欄といった生活の連載や特集を豊富に掲載していた。

  69年には、クリスチャン新聞教育版を本紙と並行して特設。その後、日曜学校版、小学生版(75年)などをへて、「児童版・らみい」(76年)を発行。2002年からはマンガを主体とした「月刊らみい」となっている。

 69年は、大学紛争が激化。青少年の問題にキリスト者として応答した。本紙はその年の20大ニューストップを「若者の教会造反拡大」とした。警察が突入した東大安田講堂の内部ルポを掲載。またクリスチャンの東大生、OBを集めた座談会も開いた。自我や生きる目的、青少年論についての寄稿、インタビューも続いた。ほかにも非行、ヒッピー、フーテン、新宿広場集会、喫茶店伝道など青少年の心の課題をテーマに企画していた。

 生活的、入門的な内容のクリスチャン新聞福音版は74年に発刊。第1号では、当時話題になっていたノストラダムス預言、世紀末的な危機感をあつかった。86年「教会を去った日 教会へ帰った日」を関西宣教リサーチセンターとの連携で連載。

 読者のメディア意識を高める取り組みも使命としていた。71年には、本紙と百万人の福音が後援して、「クリスチャン文章教室」を開講。家庭、教会、社会をつなぐ地域宣教への奉仕、クリスチャンジャーナリズムの在り方、福音主義信仰の土台による開発、育成を目標にした。5周年の72年には本紙主催で「宣教文化ゼミ」を開講。文書伝道、教会宣教、リーダーシップについて共同考察した。10周年を経た78年からは、記念事業として「あかし文学賞」を公募。15周年の82年には写真大賞、20周年の87年には漫画大賞を設けた。第1回漫画大賞受賞作は現在連載中の「ルッちゃん」だ。

 84年の新年号では「ニューメディアと教会」のテーマでコンピューター時代の教会の在り方を特集。放送伝道特集にも取り組んできた。2004年には判型をタブロイド化し、紙面のほかホームページでの速報、電子版、フェイスブックでの発信を展開している。

 2000年代には、「クリスチャンライフ」「教会教育」という面のほか、「ビジネス」面を特設。クリスチャンビジネスマンの証しと連載のスタイルは現在の「仕事と信仰」面に継承されている。

 近年見えていることは、福祉への関心の高まりだ。キリスト教福祉に関するフォーラム、セミナーが盛んになった。高齢化の現実と共に、ローザンヌ世界宣教会議での包括的な福音の再確認、東日本大震災での震災支援の経験が、教会による地域での奉仕活動を後押しした。本紙では井上貴詞氏(東京基督教大学准教授)による教会と福祉の連載を掲載中だ。

災害による再献身、協力の広がり
50th 災害

初期の報道でも、豪雨など、その都度の災害報道がなされている。目立ったのは、1968年の十勝沖地震だ。被害を受けた教会も多数だったが、「再献身に燃える被災地の教会」「教会の扉は大きく開かれた」といった見出しの記事は、教会が救援に従事した様子を伝える。数週にわたり経過を伝えた。現地牧師らの座談会では、「信仰が支えになった」「信仰の内実を問われた」、また支援について、「伝道の門戸が開かれた」と言う一方、新興宗教に注意を払い「弱みにつけこんで信仰を押しつけてはいけない」とも述べていた。直後の自教会のケアとともに、地域の教会と超教派で連携した救援活動への展開もあった。

 95年の阪神淡路大震災は教会も密集する都市部での発生であり広範な影響を与えた。教会関係被害も多数であり、何週にもわたり報道が続いた。現地取材では、当時普及したばかりの携帯電話を駆使して報道したという。教会復興支援連絡協議会が形成された。初期対応、ネットワーク、組織つくり、長期化した場合の心のケアの経験は2011年の東日本大震災での救援に生かされ、関西地域の教会が活躍した。阪神淡路大震災については、連載や定期的な特集を組み、教訓と課題を追った。2000年三宅島噴火、07年新潟県中越地震でも現地取材を敢行。スマトラ沖地震、ハイチ地震、台風、洪水被害など、キリスト教国際NGOなどの協力で報道してきた。

 東日本大震災発生後、本紙はホームページでの速報を翌々日から開始。随時に被害、救援情報を報道した。10年ころから若者を中心に普及していたSNS、特にフェイスブックにより、被災者や救援者が直接状況を随時写真付きで報告した。クリスチャンのリーダーらは、フェイスブック上のページ機能で、情報を随時に共有できる体制を構築した。教会、団体、企業が協力して全国規模での後方支援の窓口・連絡機関、また現地の市、広域レベル、県レベルでの窓口・連絡機関が形成された。これらの経験は、後の様々な水害や、熊本地震でも生かされ、諸教会・団体による迅速な情報共有と整理、ネットワーク形成がされた。本紙でもSNS、ホームページからの情報収集、電話取材に加え、現地ルポ、連載、特集で被災地の動向と状況を伝えた。

 地域教会の超教派のむすびつきの重要性が認識され、防災ネットワークも形成。本紙ではその動きを連載で追っている。

逸脱と偏向の異端・カルトを警告
50th 異端

60年代後半では、特に「統一教会が勢いを増している」という危惧の寄稿、ニュースがあった。72年には、「背教集団〈統一教会の実態を探る〉」を連載した。

 80年の連載「異端と教会」では、エホバの証人、統一協会を中心に、それらの歴史、聖書からの逸脱、実際的な問題を指摘してきた。86年には、新興宗教の本部を訪ねる「神々の精神風土」、異端団体から脱会した人々の体験談「異端からの回心」などを連載してきた。

 95年、オウム真理教による地下鉄サリン事件が起こると、社会は宗教への警戒心を高めた。2000年代もカルト、異端の特集が続いたが、02年には教会内の問題として連載「『信仰』という名の虐待」「『教会がカルト化』するとき」を掲載した。

 牧師の不祥事や韓国系異端が絡んだ事件が一般メディアで取り上げられることもある。キリスト教堺としても正確な発信を重視した。新たな手法での異端、カルト団体の可能性もありうる。様々な情報が錯綜する中で、丁寧な情報の吟味が必要となっている。【高橋良知