©photo Mickael Crotto
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人里離れた修道院、墓場、神秘と怪奇の入り混じる超常現象など、中世の文化と価値観や情景を背モチーフにした18世紀末のゴシック小説の映画化。今日のホラー映画の源流の一つでもあるジャンルだが、思った以上に文学的な香りが尊重された脚色と映像の仕上がり。運命的なしがらみが複雑に絡み合い、修道僧の確信と疑念の隙間にそっと触れてくる肉体と精神の乖離への誘い。その心の苦闘を浮き上がらせる心理描写は、現代のゴシック・スリラーとして再現してる。

17世紀スペイン・マドリッド。赤ちゃんを抱いて一人の男が夜闇の中を駆け走る。城壁から赤ちゃんを投げ捨てようとするが、稲妻に慄き思い止まる。町を出て原野を走りまわり、修道院の門の前に赤ちゃんを置き去りにして走り去る。

その赤ちゃんは、アンブロシオと名付けられ修道士たちに育てられる。成人したアンブロシオの聖書知識と説教の力強さは周辺に知れ渡り、多くの聴衆が修道院のミサに集まってくる。 ある日、大やけどを負い人目に曝せないと顔を仮面で覆った少年バレリオが、修道士になりたいと願い、保護者と一緒にやって来た。修道士たちは衆議の結果、バレリオを引き取ることにした。アンブロシオには突然激しい頭痛に襲われる持病がある。子どものときから育てて造ったバラ園で一人祈ると幾分和らぐ。だが、頭痛に苦しむアンブロシオに、バレリオが手を置くと不思議に痛みが和らいだ。アンブロシオに近づいていくバレリオ。そしてついにバレリオは、女性であることをアンブロシオに明かす。アンブロシオはにバレリオに修道院を立ち去るよう命じて、バラ園を出ようとしたとき、手のひらを刺した虫の毒によって高熱を出してしまう。バリレオは高熱で苦悶するアンブロシオを誘惑し、関係を持ち、虫の毒も吸い取って不思議な力で治してしまう。バレリオと関係したアンブロシオは、性的情欲におぼれていき高名な修道僧を騙る破戒僧なってしまった。

アンブロシオの説教に心酔している少女アントニエが、病気の母の所に来て説教を聞かせてほしいと懇願してきた。天使のように清楚な美しをもつアントニエは、何度もアンブロシオの夢の中に現れる少女の姿そのものように見える。アントニエに情欲を抱くアンブロシオ。バレリオは黒魔術を教え、アンブロシオの欲望をさらに駆り立てていく。

©photo Mickael Crotto
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原作者マシュー・G・ルイスが、19歳の時に書き上げて出版されたこの作品は、160年間も発禁書となっていた。なぜ、いま、新たな翻訳が発刊され、映画化されて再現されるのだろうか。1970年代中ごろに映画「エクソシスト」などで日本でも盛り上がったオカルト・ブーム。その類とは異なり、ルイス著『マンク』は、中世をモチーフにして聖と俗を使い分ける修道僧・修道尼の欺瞞性を衝く。映画という時間の制約の中で描こうとしている苦労も垣間見える。
中世のような天使論と悪魔論の極端な強調論は、現代では取られることはないだろう。だが、さまざまな宗教のカルト的被害が取りざたされるなかで過敏な反応を示したり、一方で悪魔やサタンに関する教理やあまりに軽視するような傾向にも注意深くあるべきだろう。

聖書は、明確に悪魔の存在を認め、注意深くあるようにと教えている。「マンク」のアンブロシオような自分の心の強さに立つのではなく、死んでよみがえったキリストの復活と神の愛に寄り頼む、人間の弱さをわきまえて歩む人生であるようにと。
「身を慎み、目をさましていなさい。あなたがたの敵である悪魔が、ほえたける獅子のように、食い尽くすべきものを捜し求めながら、歩き回っています。堅く信仰に立って、この悪魔に立ち向かいなさい。ご承知のように、世にあるあなたがたの兄弟である人々は同じ苦しみを通ってきたのです。」(第一ペテロ5章8節―9節)
この作品も、悪魔を軽んじるなかれとの警鐘のように響いてくる。  【遠山清一】

監督:ドミニク・モル 2011年/フランス=スペイン/101分/原題:Le moine 配給:アルシネテラン 2012年3月24日(土)よりシアターN渋谷にて順次全国公開

公式サイト:http://www.alcine-terran.com/monk/