img4f5e95e937dfa聖書の世界にも、いわゆる’祝い詩’は記されている。自然界のすばらしい美しさによって天地万物を創造された主をほめたたえる詩篇104篇。「あなたはわが内臓をつくり、わが母の胎内でわたしを組み立てられました。わたしはあなたをほめたたえます。」と、命の誕生を感謝し神へと向かう人生を歌う詩篇139篇など。人の世での喜びと感動を祝い、寿(ことほ)ぐ、あふれる思いは、聖書の詩篇作者たち、そして中世の宮殿や都市を巡り歩いた吟遊詩人らのタラントを通して詩となり歌となって現代に連なっている。

俳人・井上井月(いのうえ・せいげつ、1822―1887年)は、幕末から明治中葉にかけていまの長野県・伊那谷の村々を放浪し、祝い事やめでたいたいことを俳句にして詠に、祝膳や一食に与かる暮らしをおよそ30年おくった人。

村の小さな神社や祠(ほこら)で寝起きし、詩や句をたしなむ家や祝い事がある民家にふらりとやって来ては、伊那の自然を詠い、祝いの句を詠む。訪れた家を寿ぎ、死者の出た家では追悼の句を捧げて、お礼に一宿一飯の世話を受ける。家もなく、家族のない井月の生き方は、乞食(こじき)のようであり、また古来の’ほかいびと’(寿・祝人)を思わせる。

img4f5e9609ece2b 越後・長岡藩の武家の出らしいが、昔のことや家族のことは語らない。家もなく欲もない。ただ、好きなお酒を振る舞われたときなど「千両、千両」とつぶやいては、満足そうに盃とご馳走に舌鼓を打つ。

だが明治になり、富国強兵のもと、出来高によっては寛容さのあった年貢が均等な税になり、教育も制度化され’個’の意識と国家への忠誠が普遍化していく。村人や子どもたちの井月への気持ちや態度にもいつしか変化が現れてきた。

伊那の自然、村人の素朴な生活や民衆信仰などの情景を、四季折々に撮り収めていく北村皆雄監督。井月を取り巻く人々や井月の思いを語るナレーションの樹木希林。井月の役を演じ、時にはその心を伊那の自然を舞台に舞う田中 泯(たなか・みん)。その手法は、現代のドキュメンタリーと当時を演出するドラマとの時空を自由に往来して描いていく。

img4f5e9658c1d98生活を営む価値観と基盤の枠組みが目まぐるしく変化し、翻弄されているかのような現代の民衆。幕府の’家’から明治の’国家’へと枠組みが大きく変わった時代に生きた井月。ただ目の前の天然慕情を詠うことを超えて、井月が詠んだ人の心と世の流れに心の耳を傾けたい。 何処やらに 寉(たづ)の声きくかすみかな (辞世の句)

監督:北村皆雄 2012年/日本/119分 配給:ヴィジュアルフォークロア 3月24日(土)から4月6日(金)までポレポレ東中野にて公開

公式サイト:http://blog.livedoor.jp/inoueseigetsu/tag/ほかいびと~伊那の井月~

井上井月顕彰会ブログ:http://blog.livedoor.jp/inoueseigetsu/archives/51791485.html