Movie「思秋期」――無駄な人生なんてない
自分の妻にもっと当たり前に優しく接してやりたい。だが、それが出来ない自分。物事が思い通りにいかない苛立ちを妻にぶつけたり、酒に紛らわして自制を失い暴力を振るってしまったり。中年期に達し、自分にはもっと別の生き方があったのではないか。いや、出来たはずでは、もう遅いのだろうか。そのようなアイデンティティを確立しえない不安感と苛立ちを、邦題の「思秋期」は、見事に表現している。
だが、原題は’ティラノサウルス’。中生代に生息したとされる巨大肉食恐竜で、文学的作品では脅威あるいは醜さの象徴としても表現される。主人公のジョセフ(ピーター・ミュラン)が、妻に付けたあだ名。醜さを象徴するあだ名で自分の妻を呼ぶなんて「ひどい男だろう」と、キリスト教のチャリティ・ショップで働く女性ハンナ(オリヴィア・コールマン)に悔いた言葉を吐露するが、その妻はすでに亡くなり、懺悔することも赦しの言葉を聴くこともできない。そのあだ名は凶暴な自分にも向けた自虐的な言葉でもある。
失業手当で暮らすジョセフは、酒を飲んではちょっとしたことに怒り、暴れ出す。飼っていた犬を蹴り飛ばし、内臓破裂で死なせてしまったり、ヒスパニックの若者3人組にケンカを売ってこてんぱんにやっつけてしまう。
そんなもめ事の日々の中で出会った古着のチャリティ・ショップを営むハンナ。酒を飲んだくれた男がやってくることもままあるが、きちんと一人の人間として応対し、必要があればその人のためにシャッターを降ろして祈る。酔いがさめれば、彼らは申し訳なさそうに一言礼を言いにやって来る。だが、そんなハンナにも他人には打ち明けられない心の重荷を抱えていた。嫉妬深い夫ジェームズ(エディ・マーサン)の猜疑心と暴力に苛まれ、キッチンドリンカーの日々に逃げ込んでいる。そんなある日、ハンナが目の周りに大きなあざを作って店に出てきた。その様子に何かを感じたジョセフだが、自分のことさえままならない負い目から、深く立ち入ろうとはしない。それでも、ジェームズは妻とジョセフの間を執拗に疑い、ハンナをなじり始める。
チャリティ・ショップで心の重荷を抱える人にも、善意の心を尽くす仕事をするハンナ。だが、彼女の心もそうした慈善の行為では救われていない。妻ハンナとの関係を上手く修復できず、暴力に走ってしまうジェームズ。ここにも思秋期の深い溝に直面している夫婦がいる。英国ウェスト・ヨークシャーのリーズ郊外のさびれた風情が、救われない情況の中でもがき悩む心象風景を丹念に描いていく。そして、発覚する事件と悲しい現実。
救いのないようなテーマとつらい展開。The Leisure Society のエンディングテーマ曲’We were wasted’も酔いどれて無駄にしてきたような人生を静かに哀しく歌う。それだけに、自分の存在の意義を見出したようなジョセフのラストシーンの後ろ姿に、思わず手を添えたくなる。 【遠山清一】
監督:パディ・コンシダイン 2010年/イギリス/98分/原題:Tyrannosaur 配給:エスパース・サロウ 2012年10月20日(土)より新宿武蔵野館ほか全国順次公開(映倫区分:PG12)