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戦争で息子を亡くしたマルタは、波止場に設けられたレストランで青年ボクシと出会う。©Akson studio,Telewizja Polska S.A, Agencja Media Plus

あるホテルの一室。女優クリスティナ・ヤンダの独白から始まる。友人でもあるアンジェイ・ワイダ監督から映画「菖蒲」への出演依頼の話があったこと。だが、夫の撮影監督エドァルト・クウォシンスキが重篤な病状にあり、彼の傍に居る事を選ぶため一度は断った。そうして語り始められる映画「菖蒲」との関わり。この作品が作られる始まりから、作品のテーマでもある「生と死」をとおしてみつめる、生きることへの源泉が掘り下げられていく。

日本でも緑の葉の部分を湯船に浸す菖蒲湯の習慣がある。菖蒲の葉の新鮮な香り。だが茎から根の部分は、裂いたり擦り合わせると独特の強い刺激臭を放つ。「それは『死の匂い』」という原作の一節を読む撮影現場から物語「菖蒲」へとシーンが移っていく。

ゆったり流れる大河のほとりにある町。親友の女友達がマルタ(クリスティナ・ヤンダ)を訪ねてきている。マルタの夫(ヤン・エングレルト)は町医者で、マルタの病状が重く死期の近いことを知っているが告知でいないでいる。息子は二人いたが、第2次大戦中のワルシャワ蜂起の際に戦死した。マルタは、その喪失感と心の重荷を今もひきづっている。

女友達をバス停に送る途中、新しくできた川岸の船着き場のカフェで一休みする二人。踊ったりカードゲームに興じる若者たちの中に、マルタは美しい青年ボクシ(パヴェウ・シャイダ)を見初める。恋人の若い女性が、ボグシを川岸へ誘い船着き場を去っていく二人。

小説を貸してくれる約束に感謝の挨拶をするボクシ。 ©Akson studio,Telewizja Polska S.A, Agencja Media Plus
小説を貸してくれる約束に感謝の挨拶をするボクシ。 ©Akson studio,Telewizja Polska S.A, Agencja Media Plus

土手で川の流れを見ているボグシに、マルタは声をかける。大学生の彼女は、自分に本読むよう勧めるが、これといった本は持っていないと言うボグシに、マルタは本を貸す約束をして家に招く。そして家では、翌日に川で泳ぐ約束も。

川岸でボグシを待つマルタ。ふと鉄橋を見るとボグシと訪ねてきた恋人が別れの挨拶をしているようだ。若いボグシへの慕情に、ふと我に返り恥ずかしさを覚えたのか。家に帰ろうとするマルタを、ボグシは追いかける。亡くした息子たちと同年代のボグシに、気持ちを和らげ気安く接するマルタ。聖霊降臨祭の日に飾る菖蒲をたくさん取ってきてほしいというマルタの願いを受けて、菖蒲を獲りに川に入っていくボグシだが。

ホテルの一室で夫の死と追想を語るヤンダと、「菖蒲」のマルタを演じるヤンダ。そこで語られ、演じられる死と生への想念に、ゆったり流れる大河の風景が静かに一つの流れを重ね合わせていく演出。息子たちを失った夫婦の心の動き、ボグシへの複雑な思いが、絵画のような心象風景となって心に刻まれていく。

タイトルは、ヤロスワフ・イヴァシュキェヴィチの原作と同じ「菖蒲」。マルタがボグシに「聖霊降臨祭は、春が終り、夏到来のお祭り…。いのちの祝祭なの。菖蒲を集めてきて飾るのよ」と教えるシーンにつながる。生活風土の中での’いのちの祝祭’でもあるが、キリストの死と復活と昇天の後、約束の助け手’聖霊’が信じる者たちの上に降臨し、新たな力と賜物を与えられた出来事に由来する。生と死、苦渋と解放、人が生かされている歩みが、菖蒲の芳香と死の匂いの象徴のうちにみずみずしく描かれている。 【遠山清一】

監督:アンジェイ・ワイダ 2009年/ポーランド/87分/原題:Tatarak 英題:Sweetrush 配給:紀伊國屋書店、メダリオンメディア 2012年10月20日(土)より岩波ホールにて公開中。11月24日(土)より名古屋市・名演小劇場ほか全国順次公開。
第59回ベルリン国際映画祭アルフレード・バウアー賞受賞作品

公式サイト:http://shoubu-movie.com