酒井充子(さかい・あつこ)監督。前作「台湾人生」に続いて本作が2作目のドキュメンタリー作品。©クリスチャン新聞
酒井充子(さかい・あつこ)監督。前作「台湾人生」に続いて本作が2作目のドキュメンタリー作品。©クリスチャン新聞

台湾は、17世紀のオランダ統治時代、漢民族の鄭成功(チェン・チェンコン)による統一、清の統治時代を経て日清戦争後の講和で1895年(明治28)に日本へ割譲され、第2次世界大戦が終結する1945までの50年間を日本統治に統治された数奇な歴史を歩んでいる。この日本統治時代に、原住民の各部族や中国本土からの移民らにも公教育を実施。この時代の教育を受けた人々は’日本語世代’とも呼ばれる。

日本の敗戦と中国大陸から蒋介石の国民党が台湾に中華民国政府を移してから実効支配され、87年に解除されるまで38年間’戒厳令’下での言論統制と弾圧の時代が続いた。台湾で高等教育を受けてきた’日本語世代’の多くの人々には、思想的な嫌疑やいわれのない罪名での逮捕、投獄、拷問が行われ「白色テロ」といわれる恐怖が社会全体を覆った。

この作品には、主に5人の’日本語世代’の人たちが登場する。戦争を経験し、政治形態が変わり、共通言語を変えられ、日本人から’中華民国’を強いられる激動のなかで、生きる拠り所となる’アイデンティティー’とは。そのタイトルが強く気にかかったが、酒井充子(さかい・あつこ)監督は、「それほど考え込んで付けたタイトルではない。インタビューも理詰めで問答するというよりは、『お茶飲み話しながらお話を聞かせてください』という感じで撮った」という。その心持ちの柔らかさが、5人それぞれの’心の芯’としなやかな逞しさを普通の言葉で語っていて、印象に残る。

高菊花(日本名:矢多喜久子、ツオウ族名:パイツ・ヤタウヨガナ)さんは、小学6年生のときに敗戦。父親の高一生(日本名:矢多一生、ツオウ族名:ウオン・ヤタウヨガナ)は、郷長として原住民の自治を主張したことから要注意人物とされ他の部族リーダーらと共に無実の罪を負わされ1954年に銃殺刑に処せられた。長女の菊花さんは、歌手を職業とし一家を支え、父親の名誉回復に尽力して願いを叶えたが、戒厳令下の時代は何度も当局に呼び出され尋問を受ける日が長年続いた。カトリック信徒の菊花さんが、家族と共に墓参する姿はなんとも晴々した表情がいい。

父・高一生の名誉回復尽力した長女の高菊花さん(左)。© 2013マクザム/太秦
父・高一生の名誉回復尽力した長女の高菊花さん(左)。© 2013マクザム/太秦

黄茂己(日本名:春田茂正)さんは、戦時中、中学を卒業して神奈川の海軍工廠へ徴用され、敗戦直後に日本で結婚した。台湾帰国後は、小学校教員を定年まで務めたが、「白色テロ」時代は、本当の民主主義について子どもたちに語り続けた。呉正男(日本名:大山正男)さんは、東京の中学に進み陸軍に志願。敗戦で中央アジアの捕虜収容所へ収監され、2年間の強制労働を生き延びた。日本に戻ったが、国民党への抗議運動が台湾全島に広がった「二二八事件」の最中であったため帰国できず、そのまま日本に留まり結婚した。大正生まれの宮原永治(台湾名:李柏青、インドネシア名:ウマル・ハルトノ)さんは、戦場を転々とし、戦後はインネシアで生活しオランダからの独立戦争に加わりインドネシア国籍を取得。インドネシアに暮らす残留日本兵は2人だけになったが、日本について熱く語る宮原さんだが、死ぬときは「インドネシア人として死ぬ」覚悟と生き様を持っている。旅行会社を経営する張幹男(日本名:高木幹男)さんは、日本敗戦後に台湾独立派の日本語冊子を翻訳しようとして「反乱罪」で逮捕され、8年間政治犯収容所に収監された。出所後は、日本語ガイドの職に就き、旅行会社を起ち上げてからは出所してきた政治犯を受け入れてきた。

父親を一家の誇りとしたきた高菊花さん、サムライのように凛とした表情で語る宮原さん。登場する人それぞれに、歩んできた人生を静かに自然な日本語で語る。

父親の墓参をする高さん家族。©2013マクザム/太秦
父親の墓参をする高さん家族。©2013マクザム/太秦

酒井監督は、寄せられた言葉でうれしかったのは「翌日になっても、その登場人物のことを思うことが出来る」と言われたこと。どの会場でも、観客それぞれに印象に残った人物が異なっていることもおもしろいレスポンスだという。「高さんの父方の大叔父で鄭茂李さんを数えると登場人物は6人いらっしゃるんですけれども、みなさん感じるところが違って、印象に残る人物も違うということを言いましたが、誰か登場人物の一人でも、翌日にふっと思い出してもらえるようなことがあれば幸せだなと思います」。

戦中に生まれ、厳しい戦後を生きて来た’日本語世代’。だが、酒井監督は、「そうした歴史は知らなくてもいいと思うんですよ。もし映画を見た時に、知らなかったことに気づいてもらえたらいいと思っています」。

一昨年の3・11東日本大震災のあと、台湾から200億円もの義援金が日本に届けられた。台湾製パソコンの技術者が独断で、マザーボードに小さな文字で「God Bless Japan」と書き込み、メーカーもそのまま続けたため評判になり「Pray For Japan」と共に世界中の標語となった。そうした日本に対する台湾の思いを、「単純に’親日国’という言葉だけで括ってほしくない。親日的である国のほんとうのというか、いまも台湾にいらっしゃる’日本語世代’の声と言うものを、一人でも多くの人に聞いていただきたい」と言う酒井監督。

自分で自分の人生を選択するような状況になかった台湾の’日本語世代’。いま歩いている人生を、自分の責任として引き受け、語っている生き様を聞き、人と出会えることの豊かさが心に芽生えるドキュメンタリー作品だ。 【遠山清一】

監督:酒井充子 2013年/日本/102分/ 配給:太秦 2013年7月6日(土)よりポレポレ東中野ほか全国順次ロードショー。
公式サイトはこちら→http://www.u-picc.com/taiwanidentity/