映画「はじまりの街」マッテオ監督インタビュー――さまざまな暴力に囲まれたなかでの愛の物語
今年のイタリア映画祭2017(4月29日~5月6日=東京・有楽町朝日ホール)で特別上映されたイヴァーノ・デ・マッテオ監督の「はじまりの街」(原題 La Vita Possibile)。同映画祭での上映は、「幸せのバランス」(2012年)、「われらの子供たち」(2014年)に続いて、再び家族をテーマにした最新作。夫のDV(ドメスティック・バイオレンス)を逃れてローマから北イタリアのトリノに移り住んだ母子の物語。「この作品は、暴力に囲まれたなかでの愛の物語をテーマにしている」と語るマッテオ監督、イタリア映画祭で来日した折に話を聞いた。 【遠山清一】
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“人生はやり直しが可能だ”
暴力に囲まれた母子の新たな一歩
--5年前のイタリア映画祭で上映された「綱渡り」(公開タイトルは「幸せのバランス」)でも感じたことだが、今回の作品でも一度崩壊した家族の苦労話をきちんと描かれていて切実なだけに心に重く感じられた。監督はあまりハッピーエンドを観客に与えるのは好まれないのでしょうか?
マッテオ監督 この映画は、愛についての物語ですが、暴力に侵された愛についての物語になっている。ただ、愛についてだけではなく、連帯であるとか友情についてもこの映画の大きなテーマになっています。物語の始まりは夫のDVによって破壊された家族を扱っています。だが、DVを中心に描くとほとんどが暴力とか言葉での罵りとかばかりで観ていてつらいものになると思います。いまはインターネットでそのような情報がたくさん出回っているため、残念ながら暴力に慣れてしまい、さまざまな暴力に囲まれているなかで、感情の綾といいようなものが感じ取れなくなっていると思います。ですから、DVを中心に家族が崩壊していくというような、のぞき見的な映画には絶対したくありませんでした。この映画は、暴力によって破壊されてしまった家族が、ローマを捨ててトリノという町へ行き、友達とか母親の友人といったテキスチャーを探りながら生活を立て直していく物語です。
また、この映画はよそ者の孤独の物語でもあります。同じイタリアの都市ですが、中部のローマと北部のトリノでは(文化的にも地勢的にも)かなり違います。友人のカルラは暴力から逃れてきたアンナとヴァレリオの母子を温かく迎え入れますが、トリノの人たちからすれば彼らは“よそ者”です。ヴァレリオは、転校した学校での友達ができません。家の前にあるトラットリアの店主マチューや、自転車でトリノの街を走り回っていて出会った売春婦の少女ラリッサたちを自分の拠り所に求めていきますが、マチューはフランス人ですし、少女も外国から来た“よそ者”ですから、どうにか立っていようとしてお互いに肩を寄せ合いながら生きているのです。
自分の周りにマチューやラリッサ、面倒見のいいカルラのような拠り所を作ろうとしますが、それらは本当のものではなくて、ヴァレリオがもう一度線路に戻れるように手を差し伸べている存在なのです。ですから最後のシークエンスでヴァレリオが同年代の男の子たちと走るシーンがありますが、同年代の男の子たちとつながることで正しい道というか、正しい線路を走っていこうという気持ちがそこに込められています。しかしながら、彼らがヴァレリオと友達になれるかどうかは分かりません。また、いつの日かDVの父親がトリノにやってきて事件を起こすかもしれません。そういう意味では、人生をやり直せるはじまりですが、ハッピーエンドで終わる物語には出来ませんでした。
子どもから大人への転機
「変化は痛いものだ」
--13歳のヴァレリオが、自分の精神的な平静を必死に保とうとする健気な姿がなんとも愛おしく感じられました。だが、友達ができないヴァレリオが少し年上の売春婦の少女ラリッサと公園で出会い、彼女の仕事を知りながらも惹かれていき心の拠り所にしていく展開は、少し刺激が強いように感じられました。なぜ、二人の関係を設定したのですか。
マッテオ監督 トリノのような町で、友達が出来ずに街をさまよっているとどのような人に出会うかというと、公園近くに立つストリートガール(売春婦の少女)のような人たちでしょうね。ただ、ヴァレリオはまだセックスに対して認識出来ているわけではなくて疑似のガールフレンドなわけです。ですから、ヴァレリオは実際に彼女が車の中で商売しているところを目撃すると、ショックから車に向けて石を投げつけるという暴力的な行為に出ました。そのことでヴァレリオが子どもから男になっていく変化を表したいと思っていました。永久歯が生えてくるのも痛いけれど、その歯が後で物を食べたり何かの役に立つようなもので、変化は痛いものなのです。
暴力に苦しむストーリーはさまざまだが
いろいろな国の観客の共感が得られたらうれしい
--監督の作品は、家族の問題をとおして現代のイタリアの社会状況を描く作風が特長の一つに上げることができると思いますが、本作のテーマになっている問題は昔からのものでしょうか、あるいは最近になって顕在化してきたので作品にしなければと思ったことなのでしょうか?。
マッテオ監督 女性に対する暴力の問題は、イタリアでは今に始まった問題ではありません。ただ、今まではあまり取り上げられなかったし、女性自身から語るのにはためらいがあって家庭内の壁の中にずっと押し込められてきた問題だと思います。それはDV被害だけではなくてレイプされた女性とか、映画『幸せのバランス』(2012年)でも描きましたが失業した父親がそれを隠したいという態度は未だに根強いと思います。
今回のDVの問題は、イタリアでは非常に関心がもたれているし、現象がたくさん起きていることは調査でも分かりました。非常にデリケートなテーマでバランスをとるのは難しいですが、そこに慎重に足を踏み入れてこのテーマを描いてみたいなと思いました。
調査ではいろいろな女性からお話しを聞きました。それぞれ個人の性格が異なりますし、判断も全部違います。それぞれの話しを全部描くことはできませんでしたが、一つのテーマの中にいろいろな女性や子どもたちのケースが反映されるような形で描いてみました。この作品をとおしていろいろな国の女性が観ても共感してもらえるかは難しいところだと思いますが、共感を得られたらうれしく思います。
◆マッテオ監督の最新作「はじまりの街」(原題“La Vita Possibile”、107分 配給:クレストインターナショナル 2017年10月28日(土)より岩波ホールほか全国順次公開。