11月12日号紙面:沖縄戦の悲劇を忘れない 首里教会旧会堂塔屋復元 十字架見て「よく残ってくれた」
日本基督教団首里教会(沖縄県那覇市、竹花和成牧師)の創立100周年記念旧会堂塔屋復元建築完成献堂式が10月15日に行われた。同教会では、2008年に創立100周年記念事業として「記念構築物実行委員会」を設置し、紆余曲折を経ながら沖縄戦の悲劇を忘れないため、旧会堂と十字架を復元することを決め、神の導きと信仰の先達の篤い祈りと尊い努力によって今年の8月31日に「旧会堂塔屋復元」が完成した。(レポート・城間枝都子=日本基督教団首里教会員)
首里教会は、1908年5月13日に県知事の認可を得て正式に首里メソジスト教会として識名殿内に設立。12年に伊江殿内へ移転した後、33年現在地に341坪の土地を購入、36年に新会堂を建築して移転した。土地購入に当たっては、資金造成のために婦人会を中心に長い年月をかけた祈りと奉仕があった。教会の設立時は、祖先崇拝の根強い社会情勢の中で、首里の上流家庭で伝道の業が始められたことは、大きな恵みであった。
37年5月12日教会付属愛花幼稚園開設、この年、日中戦争が勃発し、日本は戦時体制に入る。44年、教会堂は軍部に接収される。首里一帯は、軍司令部が置かれていたこともあって激戦地となり、45年戦争が終わった時、一面は焼け野原となりすべての建物は破壊された。「首里でかろうじて残骸を留めえた建物は、町の真中に立っていたメソジスト教会と南西端にある中学校の建物の一部と二つだけであった。」(大田昌秀著『沖縄のこころ』)
荒れ野の如き首里の地に首里教会の会堂と十字架のみが高くそびえているのを見て自分の家の場所を確認した者や、疎開先から戻ってきた時、砲弾でぼろぼろになった教会堂と傷だらけになりながら毅然と立つ十字架を見て、よく残っていてくれたという喜びで胸がいっぱいになったという者もいる。
46年、沖縄基督教連盟設立、50年、沖縄基督教連盟は沖縄キリスト教会と改組。52年、教会員や住民有志、嘉手納航空隊の米人信徒の献金により、会堂再建を果たす。57年、沖縄キリスト教会は沖縄キリスト教団となる。69年日本基督教団と沖縄キリスト教団とは合同議定書を交換した。
84年新会堂・牧師館完成。旧会堂塔屋は危険建築物として取り壊され、十字架は保存された。当時の建築趣意書には、「わたしたちが、心に抱いたのは、戦争という人間の愚かな行為のために主の十字架を傷めたという事実でありました。そのことへの思いを深くしつつ私たちは、会堂を新築することによって、主に対する悔い改めと証しを示すことになると信じております。」と記されている。33年後の10月15日に旧会堂塔屋十字架の復元建築の完成を祝って献堂式に臨んだわたしたちには、先人と同じ思いがある。
献堂式感謝礼拝では、首里教会聖歌隊による「主の祈り」の賛美の後、日本基督教団沖縄教区総会議長の平良修牧師がコヘレトの言葉11章1節から「あなたのパンを水の上に投げよ」と題して「復元された十字架が偶像にならないように主の証として用いられるように」と説教された。
礼拝後、首里教会信徒でもある声楽家の高江洲智香子姉の祝賀演奏が披露された。竹花牧師は、祝賀会の挨拶の中で「激戦地となった首里の地に立つ教会として、旧会堂塔屋復元については戦前1936年建立時に戻すけれども、十字架については、戦争によって大きく傷ついた十字架を復元して欲しいという強い要望に、先人の思いと深く通じるものがあるように思います」と話した。
後日、新聞で献堂式の記事を見た地域の方が次々と教会を訪れ、復元された旧会堂塔屋を見学された。年齢は80代で戦後の首里教会を懐かしがっておられ、穏やかに十字架を見つめておられた。
復元された旧会堂塔屋と十字架が、沖縄戦で犠牲となった方々を追悼し、また、戦争への反省と共に同じ過ちを繰り返さないための平和への誓い、命の尊さを覚えるためのしるしとなるように祈り続けます。