2017年12月24・31日号 08面

 11月に開かれた日本福音主義神学会第15回全国研究会議(11月26日号で一部既報)では、新たな試みとしてシンポジウムを宗教改革をテーマに異なる教派背景の3者で実施。また「聖書のみ」「恵みのみ」「信仰のみ」を軸にした各講演の中で、実践の立場から、スピリチュアリティケア臨床報告の発表もあった。

DSCF0459

 シンポジウム「宗教改革の神学と今日の福音主義神学」ではそれぞれ異なる教派背景を持つ青木保憲氏 (大阪城東福音教会牧師)、  吉田隆氏 (神戸改革派神学校校長)、藤本 満氏 (インマヌエル高津教会牧師)が発題討論。それぞれ来歴、ルターの神学や宗教改革の意味、日本における福音主義神学、教会、宣教の在り方を論じた。

 青木氏はペンテコステ信仰の家庭に育った。「日々聖霊からの示し(啓示)があるので、神学的な学びはあまり重視されなかった」とペンテコステ派の傾向を述べた。その中で、36歳で同志社大学神学部に入学。リベラル神学を学び、宗教文化史的視点に活路を見出した。「リベラル神学とペンテコステ派の間に私がいる。そこに福音主義神学をぶつけたらどうなるかという関心がある。世界でペンテコステ派は6億人いる。そこからの提言は意味あるものと思います」

 大切にしている視点は、「非キリスト教世界の変動に敏感に対応して、社会に訴えることと、同時に社会から神学に訴えてきているものは何かを考察すること」。社会と神学相互の循環が必要だと訴える。「伝統は普遍的になり得ない。その当時の見えざる気質が必ず存在し、文化的な主義主張に左右される」と注意を促した。

 宗教改革について、「教会以外に救いはない、とされた時代から、一人ひとりが聖書を持ち、個々人でキリスト教観を持てるようになった。宗教改革は世俗化を進めたとも言える。信徒自らが教会、神学を選ぶ時代になった。功罪はあるが社会的に意味はある」と述べた。

 「ペンテコステ派もその流れの中で生まれた。一人ひとり日々新しい啓示を受け取る。過ちもあったが、人々へ福音を提供する熱さがある。6億の人が教会に集まる一人ひとりの思いに偽りはない」と話した。

 吉田氏は一枚のトラクトで救われ、見つけた教会が改革派の教会だった。牧師の指導で「カルヴァン、ルター、ウェストミンスター教理問答以外は読まなくてよい」と言われて教育された。

 一方で大学では超教派の学生伝道団体国際ナビゲーターに参加して、多様な教派に触れ、改革派にこだわる意識はなかった。「宗教改革は500年前の一点が注目されるが、歴史の流れの中で理解していくことが大事ではないか。中世との連続性・非連続性、次の時代との連続性・非連続性をみていきたい」と述べ、「聖書から現代に、あるいは16世紀から現代に一足飛びしがちではないか」と注意を促した。

  「神戸改革派神学校の中で自分は最もカルヴァンに批判的」と言う。「自分の伝統を大事にするとともにそれを批判的に見る視点も大事。『聖書のみ』ならば『自分の教派のみ』はありえない。自分の教派のマイナス面もキチンと見極めないと道を誤ってしまう」と語った。

 「宗教改革が立ち返ろうとしたのは、聖書であると同時に古代教会だった。古代教会について福音主義神学会ではあまり扱われることはない。自分自身は神学校でずっと古代教会について教えている。古代教会の認識は重要だと思う」と勧めた。

 宗教改革時代とは異なり、古代教会ではマイノリティーとしての教会がどのように伝道をして教会を形成したかなど、現代の日本と同じ状況があったことなどを挙げた。「正しい聖書解釈・信条・教会制度の認識がないと、何度も同じ過ちを繰り返す。日本の社会の中でどのような福音主義教会を築くのか。戦時中の日本の教会が何をしたのか、反省を抜きに教会は時代を耐えうるものにならない」と語った。

 藤本氏は、英米の信仰覚醒運動を研究してきた。「日本の教会は、教派にかかわらず、米国の第二次信仰覚醒運動の影響下にある」と指摘した。

 19世紀中頃、大覚醒に沸くアメリカに、歴史神学の重要性と健全な教会論を訴えたマーサーズバーグ(ペンシルベニアのドイツ改革派)神学が登場。その主張は現在に至るまで考えさせる諸点を提示している。この神学を担った一人フィリップ・シャフは、大覚醒の聖書解釈が歴史神学からした「聖書主義」にすぎないと批判。

 「プロテスタントは、聖書を聖職から解放したものの、歴史的には教会の国教化が進むと、聖書解釈は大学の中に閉じ込められ、庶

民にわたっていかなかった」と話した。

 これに対して、「信仰復興運動には、自由に聖書をあてはめて読むという在り方があったのではないか」と語った。「『ローズンゲン』など1日1節聖書を読み、聖霊が何を語るかという読み方がある。みことばを聖書の文脈で解釈するという釈義の本流があるが、一節がその人の心を打つこともある。そういうみことばのダイナミズムを取り戻すことは福音派においてもゆるされるべきことではないか」と述べた。

 「日本のプロテスタント教会は、教育、医療や文書、映画、音楽など機動力があったが、米国の教会同様容易に分岐する体質も持っている。福音主義は、ポピュリズム的保守層の性質は米国では定型的。誰かの意見に動かれ流されていく。歴史が欠落した運動主体の神学と言われてしまう。宗教改革は新しい教会を生み出す改革ではなく教会を連れ戻す改革だった。どういう強調点を持とうと普遍教会、教会は1つであることを忘れてはいけない」

 また「宗教改革は地理的、社会的、神学的豊かな泉」としてその成果の学びを勧めた。

 「大局的な視点も大事」と言う。マルティン・ブツァーがマールブルク会議や、後にカルヴァンとツヴィンクリとの間で調整役に回ったこと、オックスフォードに招かれて英国の宗教改革にも貢献したことなどを挙げた。「大局的に翼を伸ばしていかないと、閉塞的になる。中心軸を守ろうとして、主義のsola scriptura(聖書のみ)に閉じ込めてしまっていないか」と問いかけた。

 討論では、ドイツ敬虔主義の影響、中世と宗教改革の連続性、教育の意義などが語られた。【高橋良知