1月7・14日号紙面:内村鑑三が見た 「代表的日本人」 維新革命の陰に〝天の法〟 聖書に感化された「敬天愛人」 南洲翁遺訓 「敵を愛せ」が背景に 記・守部 喜雅 クリスチャン新聞編集顧問
今から120年以上も前、英文で日本人とは何かを紹介した『代表的日本人』なる本が出版された。筆者は当時33歳のキリスト教思想家・内村鑑三である。この『代表的日本人』には、5人の日本人が紹介されている。まず最初に登場するのは、西郷隆盛である。続いて、上杉鷹山、二宮尊徳、中江藤樹、日蓮上人と続く。この5人に共通しているのは、封建社会にあって決して時の権力におもねらず、真実を求め続けたその生き方にある。特に、内村にとって西郷隆盛こそ、日本が世界に誇れる人物の代表として、その真実の姿が描かれている。
「幕末維新における西郷の活躍を述べることは維新史そのものを語るに等しい。だが、事実、1868(慶應四)年の日本の維新革命は西郷の革命であったと言っていいのではないかと私は思っている。もちろん、一国の再建が、一人の力ではできないように、新しい日本を西郷の日本と呼ぶことはできない。それでは、維新革命に参画した大勢の優秀な男たちに対して不公平である。公平に見て、西郷の同志のなかには、多くの点で西郷より優れていた人がいたからである。とくに、経済改革に関しては、西郷は苦手としていた。内政については、木戸孝允や大久保利通の方が上だったし、維新革命後の国家を平穏無事に治めることにかけては、三条実美や岩倉具視らが有能だった。……とはいえ、西郷なくして維新革命が可能であったかといえば、それははなはだ疑問である。もっとも必要だったのは、維新の運動を始める原動力であり、その運動を形にし、天の法にもとづき運動の方向を定める精神であった」(内村鑑三『代表的日本人』)
内村鑑三が見抜いた
天の法に基づく運動
ここで内村は、西郷には、維新革命を進めるにあたり、天の法に基づいた運動の方向を定める精神があったと語っている。それは他の政治家には見ることのできないものであり、西郷が好んで書にした「敬天愛人」という言葉こそが、その人生観を要約している。
「敬天愛人」|それは、天を敬い人を愛するという意味だが、これは西郷が学んでいた陽明学にはない思想と言える。ここに出てくる「天」という言葉にも、内村は、陽明学が教える「天」とは明らかに違う意味を感じ取っていた。『代表的日本人』には、このような解説がある。
「敬天愛人の言葉には、キリスト教でいうところの律法と預言者の思想が込められており、私としては、西郷がそのような壮大な教えをどこから得たのか興味深い所である」
「西郷が天をどのように受け止めていたか、それを力と見ていたか、人格と見ていたかは定かでないが、彼独自の行動を見る以外には天をどのように崇拝していたかを確認する方法がないであろう。しかし、西郷にとって、天は全能であり、不変であり、きわめて慈悲深い存在であり、天の法は守るべききわめて恵み豊かなものとして理解されていたようだ」
語録ににじむ創造主
ところで、内村が感動し心動かされた西郷語録は、『南洲翁遺訓』という本に収められている。これは、西郷が書き記したものではなく、西郷の生き方に感動した庄内藩の志士たちが、明治になって西郷のもとに日参し、長い年月をかけてその語録を編纂したもので、敵である庄内藩を薩摩藩の西郷が赦すという寛大な処置を取ったことに感銘して『南洲翁遺訓』が生まれた。そこには、次のような西郷の言葉がある。
「人を相手にせず、天を相手にせよ。天を相手にして、己を尽くして、人をとがめず、わが誠の足らざるを尋ぬべし」
「天は人も我も同一に愛し給うゆえ、我を愛する心を以って人を愛するなり」
キリスト者であった内村鑑三は、西郷のいうところの「天」は、キリスト教の正典である聖書に出てくる「創造主なる神」と同じ意味があることに気づいていたと考えられる。しかし、内村が『代表的日本人』を書いた頃には、あの西郷隆盛が聖書を読んでいたとは知らなかったはずで、その洞察力には驚かされる。
「西洋と交際するため」
と部下に聖書を勧める
2007年の暮れに、鹿児島市上竜尾町にある西郷南洲顕彰館で開かれた「敬天愛人と聖書展」で、これまでキリスト教との関係があまり知られることのなかった西郷隆盛が、実は漢訳聖書をよく読み、それを人にも教えていたという証言が紹介された。
同展覧会には、西郷が読んでいたものと同じとされる香港英華書院刊の新約聖書が展示され、西郷南洲顕彰館の高柳毅館長は、西郷が部下の一人に漢訳聖書を貸し与えていたという記述があることから、西郷が聖書を入手して読んでいたのは確かだと述べている。この部下とは、有馬藤太という薩摩藩士で、明治になって、藤太は、その時の西郷の言葉を回想録『私の明治維新』のなかで次のように紹介している。
「日本もいよいよ王政復古の世の中になり、おいおい西洋諸国とも交際せにやならんようになる。西洋では耶蘇を国教として、一に天帝、二に天帝というありさまじゃ。西洋と交際するにはぜひ、耶蘇の研究もしておかにや具合が悪い。この本はその教典じゃ。よく見ておくがよい」
そして、この資料を提供してくれた高柳毅氏は、西郷が説いた「敬天愛人」という教えのルーツとして、「自分の敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい」というマタイの福音書5章の言葉があると語っている。