2015年11月22日号 04・05面

バークレー・フォウェル・バックストン。19世紀の終わりに宣教師として日本に来日し、その後の福音派教会の信仰にあまりにも大きな影響と足跡を残した英国人。「松江バンド」と称され、日本の聖潔運動の源泉となった彼の働きを、今に生きる私たちは、どれだけ知り、意識しているだろうか。彼の生涯をたどり、その意味を問いかけることは、必ずや、私たちが今立っている信仰をあらためて見つめ、問い直すことになるだろう。彼は日本のために何を捨て、日本に何を遺してくれたのか。その信仰の生涯を、工藤弘雄氏(日本イエス・香登教会主管牧師)に説き起こしてもらった。渋谷教会牧師館の前にて。佐伯理一郎氏とともにimg209

「あなたの人生を飲んだぶどう酒によってではなく注ぎ出したぶどう酒によって計りなさい。何を得たかではなく何を失ったかによって計りなさい」
今から125年前来日し、山陰は松江とその周辺で宣教活動を進めていたB・F・バックストンとその弟子たちの間に漂う霊的空気はこの言葉に端的に表されている。バックストンと共にその全生涯を日本宣教にささげたP・ウィルクスは英国を旅する中で一人の貴公子に尋ねられたという。「あなた様には私たちの持っていない何かがあります」。ウィルクスは答えている。「いえ、私たちはあなた方の持っていない何かを持ってはいません。ただあなたがたの持っているすべてを失っただけです」
どれだけのぶどう酒を注ぎ出したか、何を失ったかについてバックストンもウィルクスも多くを語っていない。ただバックストン一行を乗せた船が日本に近づき彼らの宣教地日本が眼前に見えた時、その感動をバックストンは記している。「ここに、神が我々を召し給いし国がある! それは、私にとっては、聖であり、神聖にさえ見える。…お互いがかくも多くを放棄したその国である」
ではバックストンは何を放棄し日本に向かったのであろうか。img203
ロンドンのウェストミンスター寺院を訪れれば、そこに埋葬され、その功績が刻まれている彼の祖父、奴隷解放の闘士トーマス・フォウェル・バックストン卿の彫像を見ることができる。5ポンド紙幣の裏面を見ればもう一人の先祖、社会改良家エリザべス・フライの容貌に接することができる。彼が幼少期を過ごした広大なバックストン邸は今もオールネイションズ・クリスチャン・カレッジとして用いられている。
パブリックスクール、ハロー校、そして新約聖書学者ウェストコットやモールらから教えを受け、クリケットのスタープレヤーC・T・スタットや宣教界の雄ケンブリッジ・セブンらと机をともにしたケンブリッジにも、彼の足跡をたどることができる。実業界にも政治界にも彼の学友たちは雄飛した。オックスフォードの碩学ウィルクスにおいては文学界において将来が嘱望された。
しかし、彼らは日本を愛し、ただ日本の救いのため、
「かくも多くを放棄した」のだ。その日本における困難な宣教を、「エジプトの宝にまさる大きな富」(出エジプト11・26)と計算したのである。
どれだけ飲んだかではない。どれだけ注いだか。どれだけ獲得したかではない。いかに多くを放棄したか。実りある人生計算の算定基準がここにある。1937年、霊南坂教会での集会の様子img210

松江から全国に遣わされた主の器たち

ではなぜそれほどまでにすべてを放棄することができたのだろうか。何が彼をそこまで放棄させたのだろうか。それは他でもないバックストンの内になされた大いなる救いのみわざのゆえであった。
幼い頃から聖書を学び、すべてのことにおいて祈ることを教えられて育った彼に、真に新生の歓喜が訪れたのはケンブリッジにおけるムーディの歴史的伝道集会においてであった。彼の書き込み用の聖書には「わが生涯の日付」として、「1882年11月9日、ムーディ伝道。救いの確信」と記されている。
しかし恵みはそれだけで留まらない。その明確な新生の経験の後、彼はウェスレーの言うホーリネスへの強い覚醒が与えられ、自分の心のきよくないことを感じたというのだ。そしてこの心の純潔と聖霊のバプテスマこそは生涯と奉仕の原動力となると確信し、この大真理を真一文字に聖書に求めた。
ついにある日、ヘブル人への手紙10章19節以下から聖霊は彼自身の語るメッセージを用いて、心のきよめと聖霊のえい満の恵みに導かれた。「結局、真の紳士を造るのは生まれでなくして恩寵である」と、バックストン伝『信仰の報酬』の著者でバックストンの四男ゴットフレーは記している。 内村鑑三をして「人類の華」と言わしめた彼の人格は神の恩寵のみわざ以外の何物でもなかった。恵みは人を使徒にする。彼は恵みのゆえに喜びに満ち、その満ち足りた福音の恵みを伝えるために一切を放棄することができたのである。OLYMPUS DIGITAL CAMERA
注ぎ出したぶどう酒! 彼はどこにそのぶどう酒を注ぎ出したのだろうか。
1890年11月24日、バックストン一行は初めて日本の土を踏む。翌年4月、一行は松江に向かう。鉄道で岡山へ。そこから自転車での旅である。中国山脈の四十曲がり峠を越え山陰へと下る。一行の食事時には黒山のごとく見物人が囲む。福音伝道の饗宴では惜しみなく喜びのぶどう酒が注がれる。劇場でも果敢に伝道集会を展開、700人もの聴衆。迫害も起こる。和多見永楽座における「大騒動」は、92年1月8日の地方新聞にも掲載。松江を中心に働きは前進、伝道所は各地に置かれ、米子は前進運動の基地となる。
「日本に勝つ唯一の能力」は聖霊であると悟り、回心者たちは豊かな聖化の恵みに導かれ、宣教へと派遣される。年間平均40人の受洗者。1900年までに、松江の教会だけで310人の受洗会員、その他付近一帯に新しい教会が起こされる。
当時のキリスト教事情といえば、それまでの急成長は頓挫、国家神道による外部的圧力と自由主義神学の内部的侵食により大沈滞期に突入した時期である。だからこの「松江バンド」の進展は驚きの他はない。

注ぎ出すぶどう酒の人生へ

中国のことわざにもある。「桃李物言わざれども下自ずから蹊を成す」。福音の豊かな果実が実っている所に人は道をつくる。「まず自分のために神を見、神の中に深い意味での人生の解答を見いだすために専念しなければならない。そのようにすれば、たとえ私たちが地球上のどんなへんぴな所に住んでいたとしても、世界はその解答を得ようとして私たちの家に道を通じるであろう」とロイ・ヘッションは『神を見る生活』に記している。臨在の主との豊かな交わりの中で聖書を通して神の声を聴く松江の一群に世界は道を通じた。松江は赤山に聖書塾が設けられ、聖書講義が開始されるや全国各地から恵みを慕い求める青年たちが続々と参集する。信仰と祈りのグループ「小さき群」に属する笹尾鉄三郎、秋山由五郎、御牧碩太郎、土肥修平たち、白墨や学生の塵芥にまみれた教壇に跪き、桃色の顔を両手で覆い礼拝するセラピムのようなバックストンの姿に捉えられ、同志社から松江へと走った竹田俊造、学友堀内文一、三谷種吉、藤本寿作ら、中田重治や河邊貞吉も折々来訪、現地で救われ献身した永野武二郎、都田友次郎、由木虎松、米田豊たちも参加、さらに石井十次や山室軍平など来訪者は尽きない。そこで講じられ、語られた『赤山講話』や『ヨハネ伝講義』は今なお、『バックストン著作集』から語りかけてくる。OLYMPUS DIGITAL CAMERA
こうして神と交わり、神の声を聞き、神に取り扱われ、聖霊に満ち溢れた主の器たちは松江から全国へと遣わされて行った。松江バンドの拡大である。東のホーリネスグループへ、西のフリーメソヂスト陣営へ、バックストン、ウィルクスらが直々に起こした日本伝道隊へとその裾野は広げられていく。日本伝道隊聖書学校で学んだバックストンの弟子たちの二世、澤村五郎、柘植不知人、小島伊助、佐藤邦之助、舟喜麟一たち、彼らに語られ、講じられた『使徒行伝講義』や『詩篇の霊的思想』も今なお『バックストン著作集』から私たちに語りかけてくる。
バックストンが最後に日本を訪れたのは1937年、まさに日本が悲劇的な大戦に突入しようとしていた時である。半年にわたる聖会から聖会に全国に広がった「松江バンド」が参集する。それはまさに彼の日本における「奉仕の冠」であった。御年77才。「神の福音は御子イエス・キリストの血潮と聖霊です」。歓迎聖会での開口一番、血潮と聖霊のメッセージが迫る。「雪の如く白く」、「砂漠の大河」、「基督の形成るまで」など、その日その時の彼が語る声は今なお『バックストン著作集』に響いている。
「神は、今日我らをいかなる人物になし得たもうか。バークレー・フォウェル・バックストンの生涯にその答えがある」(『信仰の報酬』より)。バックストンの生涯に生きていた信仰とは何であろうか。第一は、御子の血潮により、徹底した赦しときよめに導く贖罪信仰。第二は、聖書を通して神が語られる生ける聖書信仰。第三は、人間の肉性の十字架による磔殺と輝くばかりの主の臨在信仰。バックストンの霊的遺産は今も生きている。今、私たちがこの信仰に生きる時、神は誰にでも豊かな「信仰の報酬」をもたらしてくださるであろう。飲んだぶどう酒ではなく注ぎ出すぶどう酒の人生へ、何を得たかではなく、何を捨てるかの人生へと間違いなく導いてくださるであろう。

霊的遺産を次世代にも バックストン著作集刊行

日本の諸教会に大きな影響を与えたB・F・バックストン宣教師が来日してから今年の11月で125年を迎えた。バックストン師については、これまで、記録された説教や聖書講義が様々な形で出版されてきたが、現在、それらの多くが絶版となっている。こうした中で、バックストン著作集刊行委員会といのちのことば社では、若い世代にも広く読んでもらいたい、という思いから、わかりやすい現代文に編集し、未出版の説教も加えて全10巻の著作集として出版することを計画し、11月中旬に第1巻『赤山講話』を刊行した。宣教の前進と霊的遺産の継承のために、広く信徒に普及し用いられることが期待されている。なお、全10巻の予約者にはもれなく貴重な写真を多数掲載した『バックストンミニアルバム』(カラー資料集)が進呈される。(締切2016年3月末日まで)