クリスチャントゥデイ現役スタッフが声明 社長、編集補佐が異端疑惑の説明責任果たさず
日本基督教団が、総会議長名による「クリスチャントゥデイ」の異端、違法労働疑惑を再確認する声明を発表したことに端を発し、その動向が注目されてきた株式会社クリスチャントゥデイは、編集長の雑賀信行氏以下7人の従業員が連名で声明を発表、クリスチャントゥデイ創設当時からいる社長の矢田喬大氏と編集補佐の内田周作氏が、再三の要求にもかかわらず異端疑惑についての説明責任を果たさず、収入と支出の流れも不明な点が多い、とした。
2月8日付で同社のホームページに掲載された声明の全文は以下のとおり。
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クリスチャントゥデイ異端疑惑をめぐる弊社従業員声明
2017年12月23日付の日本基督教団機関紙「教団新報」で報じられたクリスチャントゥデイ問題、および本年1月27日付で日本基督教団の石橋秀雄総会議長より発せられたクリスチャントゥデイに対する声明について、私たちはその対策を社内で話し合ってきた。特に、クリスチャントゥデイ創設当時からいる社長の矢田喬大氏(33)と編集補佐の内田周作氏(33)が、張在亨(ジャンジェヒョン)氏を「来臨のキリスト」とする異端疑惑に関わっているか否かが問題の焦点だった。
この2人はウェスレアンホーリネス淀橋教会(峯野龍弘主管牧師)で役員や教会員として信仰生活を送っていながら、あいのひかり教団の集会にしばしば参加していることが明らかになった。あいのひかり教団とは、張氏を創設者とする元東京ソフィア教会などの信者によって作られた教団である。
もし2人の身が潔白なら、その疑惑を払拭するため、会見を開くようスタッフ全員が再三要求してきたが、両氏はそれを拒否し続けた。さらに今月2日、編集長の雜賀信行(52)が矢田氏に対して、キリストの働きのために社長を辞任するよう要求すると、矢田氏は逆に雜賀を解雇すると言い渡し、矢田・内田氏以外の全員を解雇する予定であることも話した。
また経営にも大きな問題がある。給与遅配が常態化し、収入と支出の流れも不明な点が多い。それにもかかわらず、今日までスタッフに対して矢田氏から説明は一切ない。異端疑惑についての説明責任も果たさず、明確なビジネスプランも示すことのできない矢田氏には、経営者としての資質がないと判断する。内田氏についても、異端疑惑に対してきちんと説明することなく、極めて不誠実である。
両氏を除く私たちスタッフは、張牧師とは関係ない、プロテスタントやカトリックの教会で信仰生活を送るクリスチャンである。今までクリスチャントゥデイに掲載された記事を読めば、クリスチャンの記者として誇りをもって取材し、執筆したものであることが理解していただけると思う。ただ、異端疑惑は誤解だと主張してきた矢田氏たちを信じて、その働きの一翼を担ってきたことは慚愧に堪えない。読者並びに関係者の皆さまには心からお詫び申し上げたい。
クリスチャントゥデイは、月間40万ページビュー(閲覧数)を超える多くの読者、スポンサー、取材対象者を得て、今やキリスト教界最大のメディアへと成長をしてきた。今まで支えてきてくださった方々を蔑ろにする両氏の態度は断じて許すことはできない。現在、両氏の処遇については、取締役会を通して申し入れをしている。
2018年2月8日(木)
㈱クリスチャントゥデイ編集長 雜賀信行
同編集 久田雄治
同営業 中橋祐貴
同記者 坂本直子
同記者 河西みのり
同記者 池上紅実
同記者 守田早生里
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※この声明は、9日11時35分現在、同社のホームページ上では閲覧できなくなっている。
【解説】
東京ソフィア教会は、張在亨氏が設立した大韓イエス教長老会合同福音の宣教師・安マルダ氏が平成10年1月頃に東京都内に設立した教会である。東京ソフィア教会は後に日本キリスト教長老教会に所属することを明示するようになった。
日本キリスト教長老教会は、大韓イエス教長老会合同福音の宣教師たちが組成した複数の教会の集まり(教団)である。
クリスチャントゥデイ現社長である矢田喬大氏は、東京ソフィア教会の賛美リーダーであり、張氏が設立したACM(アポストロス・キャンパス・ミニストリー)の千葉センター代表者であり、張氏が設立したイエス青年会の会長であり、大韓イエス教長老会合同福音の宣教師と日本キリスト教長老教会の牧師を取締役・監査役とする株式会社ベレコムの取締役であった。
クリスチャントゥデイ現編集補佐である内田周作氏は、張氏が設立したACMの仙台センター代表者で、日本キリスト教長老教会の札幌教会牧師であった。
東京ソフィア教会での聖書講義の内容を記載したノートには、「イエス・キリストではなく来臨のキリスト」などと記載されており、この記載は「イエス・キリスト」が再臨することを教義とするキリスト教の教義とは異なる。