3月18日号紙面:グラハム氏葬儀に全世界指導者2千人 “説教し、祈り続けて”
レポート・大井満(2015年セレブレーション ・オブ・ラブwithフランクリン・グラハム事務局長)
2月21日に99歳で亡くなった世界的な大衆伝道者、ビリー・グラハム氏の葬儀が3月2日、米国ノースカロライナ州シャーロットにある「ビリー・グラハム・ライブラリー」で執り行われた。屋外の駐車場に仮設された巨大なテントに、2千300人招待者だけが参列できる「プライベート・フューネラル」として開かれた。日本からの参加者の1人、大井満氏(2015年セレブレーション・オブ・ラブwithフランクリン・グラハム事務局長、キリスト合同・板橋教会牧師) がレポートする。
ビリー・グラハム氏の葬儀は、リンダ・マックラリー=フィッシャー氏とマイケル・W・スミス氏による特別賛美、祈祷、
会衆賛美(『讃美歌』162、『讃美歌第二編』194)、家族と海外代表者2人による思い出が語られたのち、エペソ書2章4〜9節が朗読された。
説教は長男で現在ビリー・グラハム伝道協会(Billy Graham Evangelistic Association=BGEA)総裁のフランクリン・グラハム氏が次のように語った。
同氏は短く故人の思い出を語ったのち、「イエス・キリストの十字架と復活による罪の赦しなくして天国に行くことはできないのであり、父グラハム氏がよく語られた『わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれも父のみもとに行くことはできません』(ヨハネ14章6節)との御言葉のように、イエス・キリストの道を歩き、今は天に移されたことを信じ、イエスを信じる者はみな同じように天に向かう道を歩かなければならない」と力強く語った。
葬儀にはトランプ大統領夫妻、ペンス副大統領夫妻も出席していたが、特別に紹介されることもなく、一参列者として出席していたのが印象的だった。世界50か国からの列席者の中には、エフライム・テンデロ氏(世界福音連盟)、マイケル・オー氏(国際ローザンヌ運動総裁)など、多彩な顔ぶれが目立った。
日本からは峯野龍弘氏(1994年ビリー・グラハム国際大会実行委員長、ウェスレアン・淀橋教会主管牧師)、高田義三氏(関西フランクリン・グラハムフェスティバル実行委員長、チャーチオブクライストニュージーランド日本大阪教会大阪教会牧師)と筆者が、招待に応じて参列することが許され、出席した。
海外からの代表は、葬儀後、フランクリン氏夫妻と挨拶を交わす機会があり、ながら、「日本の教会を代表し、ビリー・グラハム氏に心より感謝していること、ご家族に復活の主の慰めを祈っていること」を直接お伝えした。
葬儀当日、シャーロットの街には半旗が掲げられ、数多くのテレビ局が中継車を出し、全米に生中継されていたようだ。また筆者の主観にすぎないかもしれないが、アメリカ入国審査に際して入国の目的を尋ねられ、「ビリー・グラハム師の葬儀に招待された」と答えたところ、すぐに入国のスタンプが押された。葬儀の翌日、シャーロット在住の日本人クリスチャンと共に、市内のレストラン、教会、スーパーマーケットなどを訪問する機会があったが、わたしたちを「この人たちは、ビリー・グラハム氏の葬儀に参列するために日本から招待された方たちだ」と紹介すると、町の人々は「なんと光栄なことだ。遠くから来てくれてありがとう」と口々に語っていたことも印象的だった。
グラハム氏の召天が単にBGEAとグラハム氏の家族、あるいはキリスト教界にとどまらず、シャーロットはもちろんのこと、アメリカ社会全体にとって大きな意味のある出来事であったことをうかがわせた。「ニューズウィーク」や「タイム」誌もビリー・グラハム氏の特集号を早速発行した。
アジア諸国からの出席者たちは、今後もフランクリン氏や、孫のウィル氏によるフェスティバルやセレブレーションの開催を切望している。独裁政治などの下にあった国や、今も特定の政治思想が国家の基本方針となっている国々にある教会にとって、大規模に福音を宣べ伝え、キリスト者を訓練する特別な機会として、今もその働きが切望されていることは、どういう意味があるのだろうか。「大衆伝道の時代は終わった」などの声もあるが、BGEAが真に願う「一人も滅びないで永遠の命を得る」ためにどんなことでもするという姿勢を積極的に評価し、共に福音宣教のために労することは、様々な困難や課題があるとしても、主の御心にかなうことなのではないかと、改めて考え、祈らされる。日本の多くの教会とキリスト者は伝道が進展しない中で、もう一度ビリー・グラハム氏の伝道への熱意を受け取り、ますます、いや原点に帰って福音宣教に励まねばならないのではないか。
地上での生涯の終わりが近づいたある日、副総裁のヴィクター・ハム師がグラハム師を病床に見舞い、「次の世代の人々に伝えたいことは何か」と尋ねたところ、「説教し続けるように伝えて欲しい」と言われ、辞去しようとするとその背中に向かって「祈り続けるようにとも伝えてほしい」と言われたとのこと。福音宣教と祈ること、私たちに残された遺言として受け止めたい。
写真提供BGEA