2018年04月01日号 06・07面

震災以来、主に沿岸部の被災地で支援活動、教会支援、開拓伝道などに取り組んで来た3・11いわて教会ネットワーク(以下・いわて教会ネット)は、東日本大震災からちょうど7年の3月11日、「第7回3・11集会」を、岩手県北上市大通りの保守バプ・北上聖書バプテスト教会で開催。昨年12月、52歳で急逝したゲルト・シュトラウス宣教師を追悼する時を持つとともに、近藤愛哉氏(保守バプ・盛岡聖書バプテスト教会牧師)がこの7年間を振り返りながら、ヨハネの福音書6章の「5つのパンと2匹の魚」の奇跡の記事から「足りないものでも感謝して」と題して説教した。当日は、働き人、関係者、支援教会を中心に県内外から114人が集った。DSC_0761
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リーベンゼラ宣教団から派遣されたゲルト氏は、妻のハイケ氏と共に2013年からいわて教会ネットの協力宣教師として、宮城県気仙沼市、岩手県陸前高田市、一関市で活動。無牧教会の応援も積極的に取り組んで来た。
当日は、ゲルト氏の懐かしい映像が映し出された。そこでは、「シュトラウスという名前はダチョウを意味し、聖書には7回出てくるが、子育てが下手、汚い、知恵がないなど、良い響きではないから、自分の名前をいいと思わなかった。けれども、『だちょうも、わたしをあがめる』(イザヤ43・20)という個所を読んで光が点滅した。ダチョウ(自分)は、神様の恵みを通し、荒野の中で主を賛美することになるのです」と、嬉々と語るゲルト氏の言葉が響く。
続いて、ハイケ氏が映像を通して夫の最期の様子を語った。「12月9日、夫と私と子どもは夕ご飯をいただいていたが、その後、肺塞栓症で急に心臓が止まってしまった。夫は日本を愛し、主から日本に行く使命を受けていた。今度は主から御元に迎え入れてくれた。私の願いは、神様が別の方を日本に呼び、夫が遺した仕事を続けるようにと願っています」DSC_0798
3月3日には、ドイツの宣教団本部でゲルト氏の追悼礼拝と納骨式が行われたことを報告。ハイケ氏は子どもと一緒に7月まで日本に滞在し、その後ドイツに帰国するという。「悲しんでいるのは私だけではありません。皆さんも一人の兄弟を失いました。神様が皆さんの心に慰めを与えてくださるように祈ります。この地上で会えなくても天国で会いましょう。私にはたくさんのいい思い出があります。私は皆さんのことを忘れません」と語りかけた。
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近藤氏は、「5つのパンと2匹の魚」の奇跡が行われた背景についてこう語った。「群衆はイエスを取り囲み、5千人を超える人々がイエスの周りに集まってきた。彼らは空腹を抱えていた。でも、私たちに一体何ができるだろうか? と」
「ピリポは、一人ひとりが少しずつ取るにしても、200デナリでは足りないと言った。ペテロの兄弟アンデレは、ここに大麦のパン5つと魚2匹を持っている少年がいるがそれが何になりましょうと言った。『それが何になるのか、全く意味がない、無駄だ…』その場所にいるすべての人がそのような思いに満たされていた。けれども、イエス様だけが、パンと魚を取って感謝の祈りをささげられた。そして、5千人を超える人々の空腹を満たされた」DSC_0816
「7年前、私たちが抱いたものもそうだった」と言う。「私たちには力がない、人もいない、お金もない。何をしても意味が無いのではないか、教会に一体何ができるのか…。この無力感が押し寄せる中で、この働きが始まった」
「そして、この7年間でどんな実を見ているか。その一つが今日のような集会。7年前以前、県内各地の教会が一堂に会して集まる機会はなかったが、こうして祈りを共有している。震災直後から、国内外から数え切れないほどのボランティアの方々がやってきた。『働き手を遣わしてください』というイエス様の祈りをもって祈った教会の祈りに神様は応え、2011年6月に一人の働き手が送り出された。以後、宣教師の存在などどこにもなかったような岩手県に遣わされた中・長期の働き人は沿岸部、内陸部を合わせて90人を超える。お一人お一人が神様の召しに従い遣わされてきた。天に召されたシュトラウス先生も、遣わされたその場所で種をまき続けておられた。その種は確かに残されている」
「私たちが手にするもの、信仰、祈りが、たとい小さすぎるものでも、意味のないものと思われても、遣わされたこの地で、感謝してささげたい」と結んだ。メッセージに応答し、2、3人に別れて「小さくても喜んで神様に差し出すことができるように」「この岩手の地を憐れんでください」と祈り合った。
そのほか、岩泉・北三陸、宮古、山田、釜石店大槌、大船渡、一関・陸前高田・気仙沼など各エリアの報告や祈祷課題を映像で紹介。盛岡月が丘キリスト教会音楽部の特別賛美や宮古で教会開拓の準備をするキャサリン・ポーター氏によるハープ演奏があり、今年3月で奉仕を終えるいっぽいっぽ岩手スタッフの坂西信悟氏が証しをした。