キリスト教と近代の迷宮

昨秋の日本基督教学会で大澤真幸氏の講演を聴いた。宗教改革500年にちなんで「予定(救済)論」の普遍的な価値を語る同氏のキリスト教に関する知識と洞察に驚かされた。本書でこの無神論の社会学者は、神の子の受肉と死と復活と昇天という新約聖書の話に「わくわくし」、「魅了される」と言い、この「歴史の特異点」がリアリティーを持ち続ける「ふしぎ」に、キリスト教の特別な面白さを見ると言う。大澤氏がめざすのは「神がいなくてもできる」理論であり、「直接的に教義内容や聖書に言及しないかたちで、しかし事実上それと同じものをわれわれは得ることができるかどうか」(68頁)であるという。

 われらが稲垣久和氏(恩師であり同僚である)と大澤氏は、第1章:宗教改革と近代について、第2章:科学における「目的」について、第3章:現代日本の政治的難題について、実に楽しそうに語りあっている。第1章は知的対話における「伝道」、2章はガチの「対決」、3章は同志としての「解決提案」と言える。

 第1章で、稲垣氏はキリスト教の理念型は「予定論」ではなく「創造と契約」と言い、

ウェーバーの「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」の関係を批判的に論じて民主主義(抵抗権)と自然科学を論じる。

これを受けて第2章は、近代科学のパラダイムの乗り超えはいかにして可能かの議論が展開される。複雑系やカオス理論において、物質である脳と心や社会の関係において、科学から「目的」が排除されるべきか否かについて両者の見解は真逆である。稲垣氏が科学における「目的」を肯定し、大澤氏が断固拒否するのであるが、めざすところは驚くほど似ているのである。

ゆえに第3章では、受け止められない「敗戦」に始まり、靖国、沖縄、朝鮮、農協など近代日本の根本問題に対する注目すべき問題解決の提案がなされてゆく。大澤氏の語る「和魂洋才」の和魂の不徹底、領土主権国家の相対化、過去の世代に対する謝罪などに刮目させられた。

評・山口陽一=東京基督教大学学長

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