「 古代教会に学ぶ 異教社会のキリスト教」第1回

神戸改革派神学校校長 吉田 隆

“これからの日本の教会”のために

2018年07月01日号 07面

はじめに
「キリスト教会には、初め、旧約聖書しかなかった」
「旧・新約聖書全体(正典)の文書が確立するのは四世紀末のこと」
これらの単純な事実に気づかされたのは、神学生時代のことでした。そのときから、私の新しい信仰の旅が始まりました。自分が持っていたキリスト教についての認識がガラリと変えられたからです。
それはちょうど、復活の主イエスに出会ったガリラヤの一握りの弟子たちから、やがてローマ帝国全体に広がって行く古代教会そのものの歴史をたどる旅と重なります。以来、このキリスト教会の揺籃期とも言うべき古代教会の重要性と魅力に引き込まれ、やがて神学校でも教えるようになりました。
日本の教会は、もっと古代教会から多くを学んだほうがいい。それが私の確信です。これからしばらくの間、皆さんとご一緒に、改めてその旅路をたどりたいと思います。そうして見えてくるものは、きっと〝これからの日本の教会〟にとって大切な道筋を示してくれるに違いないと思うのです。
「古代教会」は、書物によって、「初代教会」「原始教会」「初期キリスト教」など、いろいろな呼び方で呼ばれています。大雑把に言って、「初代教会」や「原始教会」は新約聖書時代の教会。「初期キリスト教」は最初の三世紀くらい。そして「古代教会」は、主として二世紀以降、つまり新約聖書の次の時代から六世紀くらいまでの教会を指しているとお考えください。

古代教会から学ぶ意義
この古代教会の歩みから、日本の教会が学ぶことがなぜ大切なのでしょう? その理由は、大きく二つあると思います。
一つは、先に述べたとおり、この時代がキリスト教のまさに形成期だからです。日本のプロテスタント教会の多くは、一九世紀・二〇世紀に来日した欧米の宣教師たちの圧倒的な影響を受けていることでしょう。しかし、それらの宣教師たちがもたらしたキリスト教は、多くの場合、すでにできあがっているキリスト教世界のそれでした。伝統的な教会であっても、その教派的伝統は一六世紀の宗教改革にさかのぼるのがせいぜいです。
しかし、その宗教改革もまた、ヨーロッパのキリスト教社会の中で起こった教会の改革です。改革者たち(ルターにせよカルヴァンにせよ)は、すでにあったキリスト教の社会や伝統を変革したのであって、ゼロから創造したのではありません。古い家の骨格を生かしながらリフォーム(改革)したのであって、新築したのではないのです。
プロテスタント信仰のルーツはそこにあるのですから、宗教改革者たちの神学や業績から学ぶことは大いに大切なことです(私もその学徒の一人です)。しかし、日本の教会は、すでに何百年もの歴史を持つキリスト教社会にあるわけではありません。キリスト教の土台が全く存在していない土壌の中で、いわば、ゼロから伝道し、教会形成をしているわけです。それは宗教改革者たちが直面したヨーロッパにおける教会の課題とは全く異なります。彼らの神学も教会理解も、あくまでもキリスト教社会を前提としたものであることを忘れてはなりません。
ですから、そもそもキリストの福音とは何か、どのように礼拝するのか、聖書はどのように読むのか、教会形成に必要なことは何か等々、キリスト教の根本問題は、古代教会から多くを学ぶことができるのです。(実は、宗教改革者たち自身も古代教会から学んでいました!)
もう一つ、古代教会から学ぶことの大切な理由は、古代教会が(ユダヤ教との関係の歴史を経て)やがて非キリスト教的多元社会―多宗教・多文化―の中に福音の種が蒔かれて誕生し、成長した教会だからです。まるで今日の世界のような多元社会の中で、当時の教会やキリスト者たちがどのように福音を伝えたのか、どのような問題に遭遇し、それを乗り越えていったのか、厳しい迫害の中でどのように生き抜き、最終的にはローマ帝国を変えていったのか。この非常にエキサイティングな歴史を、私たちは古代教会の歴史から学ぶことができるのです。
もちろん二〇〇〇年という時代の開きや文化の違いがあることは言うまでもありません。ところが、そこには、圧倒的な少数者として異教社会の中で奮闘している私たち日本の教会、とりわけ、地方の教会やキリスト者たちが直面する様々な問題や困難と驚くほど似通ったものがあるのです! もちろん、成功例ばかりではありません。多くの弱さや失敗もあります。それらを含めて、私たちが学ぶべき多くの教訓が、古代教会の歴史には詰まっているのです。