2018年08月26日号 01面

 アジア太平洋戦争敗戦73年を迎えた8月15日前後には、各地で記念集会、関連集会が催された(2、6面に関連記事)。天皇制国家神道のもとに起きた先の戦争だったが、戦後も天皇制と国家の関わりは問題視されてきた。30年前の昭和から平成の代替わり時期における大嘗祭について、キリスト教会は全国的な運動を展開した。宮城県仙台市の仙台キリスト教連合もそのような中で生まれた。「前回と同じ危機感があるか」という問題意識で、同連合に関わる有志は昨年から天皇代替わりについて継続的な取り組みを実施。今年の同連合主催の平和集会は、その成果をもとに開かれた。

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   「平和を求めるキリスト者合同祈祷集会(平和集会)」は8月12日、カトリック元寺小路教会で開かれました。これは、仙台キリスト教連合が毎年「終戦記念日」直前の主日に主催しているものです。今年は「『天皇代替わり』に信仰者がどのように向き合うか」をテーマとしました。

 「天皇の代替わり」とそれに伴う「大嘗祭」については、日本カトリック司教協議会が今年2月22日に、日本基督教団が今年7月9日に、それぞれ正式な声明を発表し、憂慮と抗議と要望を表明しています。そのほかにも、例えば超教派の全国組織「『教会と政治』フォーラム」は今年9月28日に東京で「天皇の生前退位を考える」をテーマに例会を開催するなど、様々な運動が静かに広がっています。

 仙台では、日本基督教団、日本キリスト教会、日本バプテスト連盟から有志の4牧師が「天皇代替わりを考えるキリスト者の会」を結成し、昨年来、公開講演会を開催してきました。今回の平和集会は、その成果を踏まえたものとして企画されました。

 平和集会は御言葉と沈黙だけを用いる「テゼの祈り」をもって始まりました。御言葉は特に「ダニエル書」3章13節以下に聴き、黙想をしました。

 その後、日本バプテスト仙台キリスト教会の小河義伸牧師が講演をなさいました。小河牧師は、日本の教会が第二次世界大戦を遂行する国家に全面協力した史実を指摘し、天皇が平素から宗教行事を行っていること、そしてそれを看過している私たちの日常について、丁寧に解きほぐすようにお話しくださり、1989年に行われた先の「代替わり・大嘗祭」の時に見られた危機感が、今、キリスト者の間に見られないのではないか、と指摘されました。

 それに応答するように、日本基督教団いずみ愛泉教会の布田英治牧師(当日は入院のために欠席)が「十戒に立ち戻ることこそ、今必要ではないか」とのメッセージを寄せてくださったことが報告されました。

 そもそも仙台キリスト教連合は、88年12月11日に「昭和天皇病床下での声明書」を発表することから、その歩みを始めたと記録されています。そして「聖書展」を市内のセミナーホールで開催し多くの来場者を得、知名度をつけて足場を固めてから「大嘗祭についての声明」を発表しました。この声明書の第一稿は当時日本キリスト教会仙台黒松教会牧師であった蓮見和男師が起草しました。それは当初「天皇が皇祖の霊を継承して神格化すること」である「大嘗祭を行うこと」に反対するものでした。それを仙台キリスト教連合は議論し、その大嘗祭に「公的性格を持たせること」に反対するものとなりました。

 それは後退であったかもしれません。あるいは、極端を是正したのかもしれません。ともかく、仙台キリスト教連合はそのようにして「一致できる点」を探し、それを共通の立場として確保したのでした。そして、そこからそれぞれが独自の活動を展開していく。そしてまた、毎年夏に平和集会を開催して皆が集う。互いの間にある違いを宝物として大切にし、一致して祈り、またそれぞれが持ち場に戻っていく。そんな仙台キリスト教連合の姿が、そこに生まれたのでした。

 危機に際して共に集い、違いを確認しつつ一致を求め、合意できたところで神様に感謝の祈りを捧(ささ)げて励まし合い、それぞれ自分の持ち場に戻る。この形は、そのまま今、東北ヘルプ(仙台キリスト教連合被災支援ネットワーク)の中に息づいています。

 おそらく来年また「大嘗祭」がやって来ます。今は少子・高齢・過疎の中にある教会です。それでも「力は弱さにおいて完全になる」と語られる御声を待ち、それを聞き分けて、私たちもそれぞれ、できることをしていきたいと思わされた集会でした。(レポート・川上直哉=日本基督教団石巻栄光キリスト教会牧師、仙台キリスト教連合世話人)